病気で学業を休んでいた最後の時期に聴いた感動的な演奏会

これはまたクラシック音楽マニア話です。よろしければどうぞお読みくださいね。
1996年度のことです。このころは、私は東大オケを途中でやめてしまって、さらに(いま思えば発達障害の二次障害である統合失調症であった)心の調子の不調で、1年、学業を休んでおりました。(最も長い病気による休みは2001年ごろのもので、これはそれよりも前の休みです。)
私の学生時代の、インターネットも携帯電話もないころの話です。メールもほとんどありませんでした。もちろんYouTubeを含むSNSもないわけです。音楽を聴くとしたら、生でなければCDを買うしかありませんでした。そのようなとき、どこで手に入れたのか、ラジオから取ったと思われる、ラフマニノフの「交響的舞曲」を聴いたのです(ウラディーミル・アシュケナージ指揮コンセルトヘボウ管弦楽団でした)。1回聴いて、大好きになってしまいました。「ラフマニノフの最高傑作!」(ラフマニノフの作品をぜんぶ聴いたわけではないけど!)と思ってしまいました。複雑を極める、しかし強い必然性を感じさせる和声進行に「ひとめぼれ(ひとみみぼれ?)」してしまったのでした。
そのころ、ある友人が、吹奏楽で、このラフマニノフの交響的舞曲の第3曲をやるという話を聞きました。結局、その本番は聴いていないのですが、その友人とは、数人でドライブに行ったときなどに、ニコラス・エコノムとマルタ・アルゲリッチによる2台ピアノ版によるこの曲(CDから取ったカセットテープ)を車のなかで聴いたりした覚えがあります。その友人に「聴きに行けば?」と言われて聴きに行った演奏会があります。
仙台フィルの東京公演でした。1996年度もほぼ終わりのころ、1997年3月24日の演奏会でした。プログラムは以下です。
外山雄三 交響的「縄文」
スクリャービン ピアノ協奏曲
ラフマニノフ 交響的舞曲
外山雄三(指揮)/若林顕(ピアノ)
ラフマニノフの交響的舞曲が生で聴けるチャンスだったわけです!
当時の日記を見てみますと、その日の朝にチケットを買っています。会場はサントリーホールでした。その日の日記に生々しい感想が書いてあります。「超感動の嵐。まともに演奏で感動したのとしては空前であったろう」。21歳の私は、非常に感動したのです。これ以上のことは日記に書いてありませんが、記憶に残っていることを書きますね。
外山雄三さんがすぐれた指揮者であることは、楽器の先生から聞いていました。これは外山雄三さんが指揮するのをはじめて聴いたときになります。このときの大感動がもととなって、のちに私は「外山参り」と言って、1年に1度は外山さんの指揮する演奏会を聴きに行くようになったのです(東京を去る2006年まで)。印象に残る演奏会がいくつもありました。
1曲目の外山雄三さんの「交響的『縄文』」は、そのときしか聴いたことのない音楽です。そのころすでに、外山さんの有名な「管弦楽のためのラプソディ」は知っていました。この曲もやはり、日本民謡を用いていました。花笠音頭が出てきたのを覚えています。だんだん、外山さんは、プログラムの1曲目として、日本のオーケストラ曲を入れることが多いことにも気づかされましたが、このときは自作を持って来られたことになります。
2曲目のスクリャービンのピアノ協奏曲は、やはりそのころまでにカセットテープで知っていた音楽です。たとえば「法悦の詩」みたいな、「スクリャービン・ワールド全開!」という音楽ではなく、おそらく初期の作品なのだと思います。素直なコードネームで書けそうな音楽ですね(「法悦の詩」とか「黒ミサ」みたいなのは、素直にコードネームで書くのはなかなか大変です)。若林顕さんの生を聴いたのもこれが唯一の機会ですね。
休憩後のラフマニノフですが、ちょっと覚えていることがあります。私はオーケストラの斜め後ろの席から聴いていました(サントリーホールのそういう席は安いからです。その日の朝にチケットを買っていますし)。指揮者の外山雄三さんが、演奏を開始しようとして、ちょっと笑顔を見せました。下手から、あわててスコアを持ってきた係の人がいらっしゃいました。どうやら、休憩中に、指揮者用スコアを用意するのを忘れたのですね。それで、演奏開始となりました。
すばらしい演奏でした。カセットテープで聴くアシュケナージ指揮の演奏とはまたタイプが異なりましたが、じっくり落ち着いた名演奏でした。第2曲の最後、テンポが速くなるところで、少しオーケストラが破綻しかけました。この曲の演奏は難しいのであろうと思われました。この2年後くらいにも、私はシャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団でこの曲を聴いていますが、そのときも、第3曲で飛び出すホルンの人がおられたと思います。おそらくこの曲の演奏は難しいのでしょう。
曲の最後は、大きくドラの余韻を残すタイプの演奏でした。私はそのころもっぱらアシュケナージ指揮の演奏しか知らなかったわけですが、だんだん、この最後のドラの余韻を残す演奏が多々あることを知りました(スコアを見ての根拠はいまだに知りません)。このときの演奏は、非常に長く余韻を残していました。
とにかく、大感動をしたのです。いまでも鮮烈な記憶として残っています。
先述の通り、私はこのとき、外山雄三さんの「信者」となり、仙台フィルの東京公演だけでも3回行っています(そのころ外山さんは仙台フィルの音楽監督でした)。外山さんはラフマニノフが得意であることもだんだんわかって参りました。2023年現在では、だいぶラフマニノフの再評価が進んでいますが、この1997年ごろ(四半世紀以上前)は、まだ東京でも、このラフマニノフの交響的舞曲を「ラフマニノフの駄作」と書く音楽評論家がいたのをよく覚えています。時代は変わりました。改めて、外山雄三さんの慧眼には驚かされます。
外山さんは2023年(今年)7月11日、惜しまれつつ亡くなりました。92歳でした。
そのようなわけで、非常に感動した演奏会の記憶でした。このあと私は間もなく学業に復帰することになります。長い記事で失礼いたしました。
(サムネに当日のプログラムを使用することは、仙台フィルハーモニー管弦楽団さんの快諾を得ました。ありがとうございます、仙台フィルさん!)
