「言われてみれば当たり前」

ここ1年くらいでだんだん学んだことがあります。当教室にお問い合わせをくださって、中学の数学くらいの学び直しを希望されるかたに、1年くらい前はけっこう小学校の算数からおすすめをしておりましたのです。小学校の算数の教科書は、実は極めて緻密に書かれていますが、一見「幼稚」です。それが届いて、やる気を削がれ、おやめになるかたが多かったことに気づかされてきたのです。ときと場合によりますが、たとえば高校くらいの数学から始め、ちょっと難しいことに気づいてから、小学校の算数に戻る、というほうが、習うかたも納得した上で小学校の算数に取り組める、ということに気づいて来たのです。これは、ある人に言わせると「当たり前」だそうです。しかし、こういったものは「言われてみれば当たり前」というべきものではないのでしょうか。言われてみれば当たり前かもしれませんが、経験しなければこの当たり前と言われることに私が気づくことはなかったのです。
12個のあめを3人に均等にわけるとすると、1人あたりの個数はいくつになるでしょうか。これは小学校で割り算を習う初歩であり、1人あたり4個となります。12÷3=4と計算されます。これは見方を変えると、4個ずつのあめが3人ぶんで、トータルで12個です。つまり4×3=12とも言えます。割り算はかけ算の逆の計算だったのです!これは、最初に気づいたのが誰なのか知りませんが、すごい発見です。われわれ大人は慣れ過ぎていて、これが当たり前でないことを忘れがちですが、これも「言われてみれば当たり前」という現象のひとつと言えるのではないでしょうか。積分は微分の逆の操作だと最初に言った人くらいすごいですね(微分積分学の基本定理)。
角の大きさは数値化できることに最初に気づいた人は誰でしょうね。いわゆる「角度」ですね。しかもそれらは足し算ができる。20°と30°をあわせると50°になります。この性質(加法性)が三角関数の加法定理を成り立たせています。そもそも最初に「角」というものを発見した人がいるわけです(1つの頂点から2つの辺が出ていて作られる形)。「直角」という概念を最初に見つけた人はだれか。われわれ現代人の身のまわりには直角なものがたくさんありますが、自然界に直角はあるのだろうか。(あるのでしょうけど、いまとっさに思いつかない。きっとこれも「言われてみたら当たり前」な答えがありそうですね。)
数学は「言われてみれば当たり前」の積み重ねの歴史です。私はちょっとだけ最先端の数学にもいましたが、そこまでずっと「言われてみれば当たり前」の連続で数学はできていました。(これからもでしょう。)
ベートーヴェンの「運命」は「ジャジャジャジャーン!」と始まります。この開始は、誰でも思いつきそうでありながら、ベートーヴェン以外の誰も思いつかないような独創的な始まり方です。「春はあけぼの」(枕草子)とか「はじめに言葉があった」(ヨハネによる福音書)とか、いずれも他の誰も思いつかないような、独創的な始まり方ですね。
私はサイドビジネスとして「校正」もしています。たとえばある雑誌を校正していて「コロナ渦」というのを見つけました。これは「コロナ禍」の間違いです(「渦」ではなく「禍」)。これも、おそらく言われてみれば皆さん気づくのでしょうが、言われなければ気が付かない人が多いのでしょう。(かくいう私もたくさん誤植を見落としているとは思うのですが。)
三角形の2辺の長さが等しいと、その三角形の2つの角の大きさが等しいことは、誰が最初に気づいたのか。
そもそも、三角形の角の和は常に一定で、180°になることに最初に気づいた人は誰か。これは、先述の「角の大きさは数値化できる」ことと「角の大きさの数値化は、足し算ができる」ことを認めないと言えないことです。私は小学生だったとき、これ(三角形の角の和は常に180°であること)を知って驚きました。4年生のときの担任の先生がこれの証明をしてくださいました。感動をもって聴きました。これも、証明を読んでしまうと「当たり前」です。これこそ「言われてみれば当たり前」の典型でしょう。言われなければ気づかない人がほとんどだと思います(私も含めて)。
繰り返しになりますが、数学は「言われてみれば当たり前」の積み重ねの歴史です。言われてみてからしたり顔で「当たり前です」と言わないように気を付けたいと自戒を込めて願っています。
