7日に1回、仕事を休むキリスト教の習慣「安息日」について

この記事では、日本でも当たり前になっている、7日に1回、仕事を休む習慣と、キリスト教の「安息日(あんそくび。あんそくにち、あんそくじつとも)」について、最近、思ったことを書かせていただきたいと思います。
私はかつて、ある中高で、教員を11年、事務員を5年、しておりました。教員の長時間労働が社会問題化する前でして、教員の時代は当たり前のように12時間以上、学校にいて働いていました。それで、仕事を失い、就労移行支援事業所という、障害者福祉に通うようになったころ、月曜から金曜までのいわゆる平日の昼間から、私服で外を歩いているのが恥ずかしいという理由で、あえてスーツを着て就労移行に行っていたものです。あるとき、その帰りに繁華街で声をかけられました。「お兄さん、お仕事おつかれさまです!」。私は、仕事ではないと言いましたがその人は「いや、どう見てもお仕事帰りでしょう、お仕事おつかれさまです!」と言い続けました。よほど「仕事を失った無職です!」と言えばよかったかと思っておりますが、とにかく、仕事をする人は、平日の昼間はスーツを着ているものだと思っていました。
最初に、そうでもないことに気づいたのは、そのころ、教会で知り合った、同い年の男性です。彼は、貨物列車の運転手さんでした。働くときは長時間、働いて、その代わり、シフトによっては平日の日中でも仕事はなく、平日の昼間の教会の祈祷会などに、私服で現われていました。みんながみんな、月から金の9時から5時まで働いているわけではないことをだんだん認識するようになりました。
いまの私の仕事は、オンラインの算数・数学教室の講師です。お子さんの生徒さんもおられますが、多くは社会人の趣味で数学を習っておられる皆さんが生徒さんです。それで、子供さんは平日の日中は学校がありますが、大人の皆さんは、いろいろなシフトで働いておられたりして、平日の日中でも授業が入ることはあるのでした。自営業のかたなど、かなり自由に授業をお入れになるかたもおられるようになりました。
それで、私自身がオンラインの自営業であるわけです。確かに大人の皆さんも、平日の昼間に仕事をしておいでのかたは多くおられます。そこで、私の仕事は、皆さんが仕事の終わったころ、すなわち、平日の夜とか、土日に多く働いています。夜も午後10時半くらいまで仕事をしていることも多く、9時5時の皆さんと比べて、5時間くらい遅寝・遅起きの生活リズムです。睡眠障害がある関係で、午前には授業を入れないようにしております。そんな生活で、あるリアルの教会の牧師をしている友人から、礼拝に誘っていただいたのですが、現在の私の生活リズムだと、日曜の午前にやっている礼拝にはとても出られないことに改めて気づかされるのです。(夜型の生活で、そして土日は仕事が多いので。)キリスト教では、安息日と言って、日曜は仕事を休むことが推奨されています。(7日に1回、仕事を休む習慣は、ユダヤ教、イスラム教でもそうだと聞いております。出典は旧約聖書の冒頭で、神が6日で天地を造り、7日目に休んだことです。)これについて改めて考える次第です。
かつて私はある中高に勤めていたと先ほど書きました。日曜は学校が休みでしたが、部活はありました。しばしば土日は部活の大会があり、日曜に大会の引率に行く部活の顧問の先生もおられました。(先述の通り教員の長時間労働の社会問題化する前で、60日連続出勤だーとか言っている若い先生もおられました。平日は授業と居残り勉強、土日は部活の引率なのでしょう。)事務員の経験をさせていただいて、わかることもありました。たとえば、この学校は、8時4時の就業時間でしたが、午後4時から翌日の朝8時までは、警備員さんが働いてくださっていました。16時間の勤務となるため、シフト制で3人の警備員さんが交代で来られていました。それから、学校の一斉停電を伴うような点検や修理は、日曜に業者さんに来ていただいて、やってもらっていました。確かに、授業の最中で、一斉停電が起きたら具合が悪いでしょう。このように、みんなが休みのときに働いてくださっておられるかたのおかげで、平日の日中だけに働くことが可能となっていることを、じょじょに理解していったのでした。
学生時代に話は戻ります。東大および東大の院生であったころ、通っていた教会は、ある学生街にあり、日曜に休む飲食店が多かったせいもあり、教会の礼拝が終わったあと、皆さんが行く食堂は、近くのサイゼリヤでした。そのサイゼリヤは、日曜の昼は、その教会の礼拝の「二次会」のような様子になっていました。私もずいぶん「ミラノ風ドリア」などいただきつつ、教会の(当時)青年の皆さんと楽しく食事をしたものです。それでもちょっと気になっていたのは、サイゼリヤで日曜の朝から働いて、食事を作り、提供しておられるサイゼリヤの従業員の皆さんの存在です。日曜の午前に礼拝に行かないでサイゼリヤで食事を作ってくださる皆さんのおかげで、その教会の日曜の礼拝に通うクリスチャンの皆さんの信仰生活は保たれていた面はあるのです。それに限らず、教会まで電車やバスで来られるかたは電車やバスを運行してくださっている皆さんのお働きのおかげで教会に来ることができていますし、その他もろもろです。
私はかつて、「クリスチャンプレス(クリプレ)」というインターネットの媒体で、連載を持たせていただいておりました。(「発達障害クリスチャンのつぶやき」と言います。最後に当時の記事のリンクをひとつおはりしますね。)同じ媒体に、MAROさんというかたもコラムを連載されていました。MAROさんの連載はいまも続いていると思います。(MAROさんの記事もひとつ最後にリンクをおはりしますね。)そのMAROさんの記事で知ったのですが、なぜ土曜は「半ドン」なのか。つまり、なぜ土曜の午後は休みなのか、という由来です。確かに、聖書に由来する話であれば、週に1回の休み、あとの6日は仕事、ということになり、安息日の前の日の午後に休む理由は見当たりません。MAROさんによると、日曜に完全に「休み」をするために、安息日の前日である土曜日に、炊事や洗濯などを済ませておくために、土曜の午後に仕事を休む習慣ができたそうなのです。なるほど、それは知りませんでした。しかし、なぜ、いまになってこの話を思い出したかと言いますと、それは、おそらく「村人の全員が日曜に安息していた」ということに由来するだろう、ということに気づかされて来たからです。
たとえば、日曜に新鮮な刺身を食べたかったとしますと、それは、漁師さんが働くことになってしまいます。そうすると、日曜に新鮮な魚を食べようとするわけにはいかないですね。ここまで見て来ましたように、日曜に働いてくださるかたのおかげで、多くの人は日曜に休めるのです。なるほど、だから村人の全員が日曜に休むためには、前日の土曜の午後も仕事をしないで、安息日の準備をする必要があったのですね。なるほどです。
それで同じようなことを考えますと、電気のなかった昔は、夜も皆さん、みんなで働いていなかったと考えられます。夜になって暗くなりますと、誰も働けなくなりますからね。いまは電気があり、私も夜に仕事をし、皆さん夜も学生さんは勉強しておられます。それに伴って、電力も、夜も流れますし、コンビニは24時間、やっています。電気や水道も、具体的にどなたかが働いておられるはずです。私は算数や数学の教科書に、統計で「気象庁調べ」等と書いてある場合には、気象庁に電話しますが、気象庁そのものは土日祝日お休みです。しかし、観測している人は毎日おられるはずです。天気予報が土日休みというのは聞いたことがありませんからね。とにかく、皆さんが休みのときに働く皆さんのおかげで、多くの人は夜や土日に休めるわけです。
それを考えますと、小中高の多くが、平日の明るいうちに授業を行っているのは、過去のなごりという面もあると思わされます。親御さんが、先述のような、夜や土日に仕事をされるようなご家庭では、子供さんの学校と仕事のサイクルがあわなくて、なかなか大変であろうということは想像がつきます。かくいう私も、夜型で、土日に多く働く人間になりましたけども。私はそれほど大変ではないですが。
先日、あるホテルに泊まりました。そこは、大浴場しか風呂がありませんでしたが、大浴場は、朝の5時から深夜2時まであいているようでした。ということは、深夜2時から朝の5時までの3時間で、大浴場を掃除しておられるかたがいらっしゃるということになります。われわれはいろいろなかたのお世話になっていますね。先ほどの貨物列車も、踏切で長く待たされることはありますが、そこにわれわれの大切な荷物が含まれていて、それを運んでくださっていることを考えますと、貨物列車の運転手さんほか皆さんにも感謝ですね。
それで、日曜の午前に私は教会の礼拝が行きづらいライフスタイルとなったわけですが、いまの私は、日曜の夜8時から、1時間、YouTubeでライヴ配信されている「会いに行くキリスト教会」のオンライン礼拝を見て、信仰生活を守っています。(「会いに行くキリスト教会」のリンクも最後にはりますね。)コロナ以降、オンライン礼拝というものが一般化しました。この礼拝にも間に合わないときは、礼拝後、夜9時から行われている「Zoomお茶会」に参加しています。リアルの教会でも、礼拝後にお茶の時間で交流、ということはよくあったものです。現代は、いろいろなライフスタイルの人がいます。不動産屋さんは多く日曜に仕事をし、水曜あたりに休んでおられることも知りました。日曜の礼拝に行かなくても、いろいろな信仰生活があり得る時代となったと思います。いろいろな安息日のありかたがある時代だと感じています。本日は以上です。とくに、いろいろな仕事をしてくださる皆さんに感謝せねばと思わされています。
最後に、リンクをはります。まず、私のクリスチャンプレス時代の連載のひとつのリンクをはりますね。内容的には本文とは関係ありません。すみません。「発達障害クリスチャン」とは私のことです。

それから、MAROさんの記事。これは、たったいまこの記事を書いている2024年11月26日現在で最新のMAROさんの記事をはるだけで、これも本文とは関係がありません。すみません。

それから、「会いに行くキリスト教会」の石川有生(いしかわともみ)牧師の紹介です。彼は30代半ばの男性で、牧師の自営業という空前の仕事をしています。私が知り合ったのは数年前で、全国どこでも無料で会いに来てくれます。キリスト教の話に限らず、多くは喫茶店等で、雑談に付き合ってくれます。キリスト教に興味のあるかたにはもちろん、いろいろな人におすすめできます。彼は東北大の物理を出ていて、塾講師としても優秀であると聞いています。私の数学の能力にも大きな理解を示してくれています。なにより彼は性格がよく、あらゆるSNSをやっているようですが、いい意味で一度もバズったことがないそうで、いいことだけを発信し、ひとり、ひとりとフォロワーさんを増やしているようです(私も見習わねばならないところです)。自営業の先輩として、私はいままで2回の確定申告で、全面的にお手伝いをしていただきました。ありがたい牧師さんです。YouTube以外にもいろいろコンテンツがあるようです。とりあえず、ホームページのリンクをはりますね。

