金曜ロードショーで「となりのトトロ」を見た感想
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きのう、録画されていた金曜ロードショーの「となりのトトロ」を家族で見ました。その感想を書きますね。
前に、メイと、昔話の「桃太郎」のおばあさんの類似性については書いたことがあったと思います。「あなたトトロっていうのね!」と言って逃げないメイと、川上から大きな桃が流れてくるのに逃げない(拾った)おばあさんの類似性です。最初のうち、見ながら、「これは桃太郎だな。宮崎駿さんが桃太郎で映画を作ったらすごいものができるのだろう」と思って見ていました。しかし、見ているうちに「これは聖書だ」と思うようになりました。
私は「聖書は昔のテレビかマンガ」という論を持っています。これは、となりのトトロの場合、以下のように解釈されます。
ちょくちょく不思議な奇跡みたいなのが起きるのですよね。「まっくろくろすけ」だか「すすわたり」だかが出たり、小さなトトロが歩いていたりします。聖書で言えば、水がぶどう酒に変わるとか、イエスが湖を歩いて渡ったりします。そうして奇跡がどんどん大きくなります。
メイがトトロからもらった木の実の包み。メイは地面に埋めて、芽が出ないか、芽が出ないかと毎日、見ています。ある夜、トトロがまた現れました。念力みたいなもので、芽が出るどころか、巨大な木がすごい勢いで生えて行きます。この極端さは、まるで、5個のパンで五千人がおなかいっぱいになった奇跡に匹敵します。聖書には「男五千人」と書いてあるので、女性も含めると一万人はいたと考え、私の友人の牧師の話だと、一万人というのは両国国技館の満員御礼くらいの人数だそうです。すごいですね!
それで、実際には5人くらいでパンを食べたのでしょうが「夢だけど!夢じゃなかった!」。
あるいはもっとダイレクトに、イエスが、よい種はよい地に落ちて、三十倍、六十倍、百倍になった!と言ったときに皆さんがイメージしたのは、まさにそのとなりのトトロの、種から巨木が生えて行くような映像だったのでは?とも思います。やはり聖書は昔の映画かテレビですね。
話の最後のほうは、少し大きなまとまった話としてのピンチ&奇跡の物語が配置されています。トトロでは、メイがとうもころしを七国山のお母さんのところに持って行こうとして失踪するように、聖書では、イエスの十字架と復活です。最後はハッピーエンドになっていますが、そこまでは大変なのです。
見る人に「どうしよう」と思わせるシーンもあります。サツキは「お母さん、死んじゃうかも。えーん!」と泣きます。ゲツセマネではイエスが「アッバ、父よ、ぼく死んじゃうかも。えーん!」と弱音を吐きます。どうしよう!
最後は、奇跡が起きて大団円です。夢だけど!夢じゃなかった!見ないで信じる者は幸いである!おしまい!
「となりのトトロ」っていまでも視聴率を稼ぐそうではないですか。聖書もいまだに世界でいちばん売れている本なのでしょ?
サツキが走るのがえらく速いです。オリンピック選手のようですが、しかし、オリンピック選手は競技のために速く走っています。サツキは妹のために速く走っているのです。サツキの走るのの速さは実際的な意味があります。
それにしてもメイの捜索は村の人の総出ですね。みんな「効率優先!」な仕事をしているわけではないのですね。いい村だなあ。
しかしトトロって誰が思いついたのだろう。ネコでもない、タヌキでもない、ああいう生き物を思いついたのは宮崎駿さんか?すごい発想です。やはり川上から大きな桃が流れてくるのもすごい発想です。しかもそこから男の子が生まれて、その子が成長して鬼退治に行き、犬と猿ときじをつれていくとか、ものすごい発想です。日本一のきびだんごを持って。
ねずみとかぼちゃの馬車もすごい発想です。ガラスの靴とか。未来からネコ型ロボットが来てポケットからつぎつぎと道具を出すのもすごい発想です。
馬小屋で生まれて飼い葉おけに寝かされたとか、三人の博士が黄金と乳香と没薬を持ってくるなど、すごい発想ではないですか。
となりのトトロって、出てくる人はみんな大らかですね。週刊誌的な嫌らしい話題ではない。これが、何十年も皆さんを惹き付ける「となりのトトロ」という映画のよさではないかと思います。
そんなことを思いながら見たわけです。「夢だけど!夢じゃなかった!」は、あらゆるお話に言えることではないでしょうか。以上です!
