バッハのマタイ受難曲はなぜ3時間もかかるのか

これは、前にも書いたことのある話題ですが、改めて書いてみます。音楽や宗教に詳しくないかたにもお楽しみいただけるように書きたいと思います。

バッハのマタイ受難曲は、3時間以上かかる音楽です。独唱と合唱とオーケストラで演奏されます。歌詞は、新約聖書マタイによる福音書の、キリストの受難(=キリストが十字架にかかる話)の記事に基づいたドイツ語のもので、聖書そのものにときどき「挿入歌」が入るというミュージカル仕立てのようになっています。バッハには、ヨハネ受難曲という作品もあり、こちらはヨハネによる福音書に基づいています。いずれも、受難のシーズン(イースターの少し前。イースターとは復活祭で、十字架で死んだキリストが復活したことを祝う祭)に上演されたといいます。マタイ受難曲は、3時間以上かかるわけですが、なんで昔の人はこんな長い曲を聴いていたのか、私はずっと謎だったのです。これは、以下のように考えられます。こういう音楽を「テレビのなかった時代の、テレビに相当するもの」と捉えると、見えてくるものがあるのです。

バッハには、教会カンタータという、毎日曜日に教会で上演された、だいたい30分くらいの音楽が、二百曲くらいあります。これが、「毎週やっている30分番組」であるとします。受難シーズンは年に一度です。おそらくバッハの時代のドイツで、キリスト教は、現代日本のキリスト教とは違ってだいぶ土着化した宗教だった気がしますので、クリスマスやイースター、その前の受難シーズンなどは、宗教行事であると同時に年中行事であったでしょう。あたかも日本におけるお盆が、宗教行事であると同時に年中行事であるように、です。イースターは「イースター(ご復活)おめでとうございます」と言います。その直前である受難シーズンは、あたかも現代日本の「あけましておめでとうございます」(正月)の直前にある年末シーズンみたいなものではないか。つまり、バッハの受難曲とは「おおみそか3時間スペシャル」であることに気づいたわけです!

そう思うと、いろいろなことに気づきます。受難曲の題材は、先ほど述べました、キリストの受難物語です。これはもちろん宗教的ストーリーでもありますが「みんなよく知っているおなじみの話」という意味もあると思います。つまり、みんなで年末に「忠臣蔵」を見ているようなものであることにも気づかされるわけです。

バッハの受難曲に(もしかしたら受難曲全般に言えることなのかもしれませんが、専門的に詳しくない私にはわかりません)、復活は描かれません。この理由も以下のように考えると合点がいきます。数年前、あるオンラインの集まりで、おおみそかの夜を迎えました。ある人が、年越しの3時間くらい前に「私はこれで失礼します。先に言っておきますね。あけましておめでとうございます」とおっしゃいました。なんとなく不思議な気分になりました。年を越す前に、たとえそれが直前であっても「あけましておめでとうございます」というのは妙なのです。それで、受難曲では復活を先取りしたりしないのでしょう。(宗教的に深い意味があるというより。)

バッハのマタイ受難曲は、先ほど触れました通り、ドイツ語の聖書に基づきながら、コラールやアリアなど、ときどき「挿入歌」を入れながら進行します。とくにアリアはソリストの歌であり、男女の歌手が交互に歌います。この「男女の歌手が交互に歌う」というのはあたかも、紅白歌合戦ではないかと気づきます。やはり、バッハの受難曲は、「おおみそか3時間スペシャル」です。

このようなわけです。バッハのマタイ受難曲は、あたかも、忠臣蔵と紅白歌合戦を兼ねた、おおみそか3時間スペシャルのようなものであったのだ、という気づきです。

(この説を専門家の前で言ったことはないのですが、意外と専門家の間では当たり前なのでしょうか。)

「テレビのない時代の、テレビのようなもの」として、聖書そのものも捉えられます。それはまた次回以降、お話をいたします。

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