自伝風の読み物 ㉗ 修士論文の第一主定理

去る2026年3月20日(金)、千葉大学で行われた「すうがく徒のつどい」という集まりで、この「自伝風の読み物」に記した、私の幼少時のエピソードのいくつかについて、講演をさせていただきました。

(そのときのアブストラクトとスライドは、以下のページに置いてあります。)

2026年3月20日(金、祝)16時から、千葉大で講演を行います。→無事に終わりました。お越しくださった皆様、ありがとうございました。当日の資料をここに置かせていただきます。 | 星くず算数・数学教室

おおむね好評をいただき、長谷川先生からもコメントをいただくことができました。その日の夜の懇親会でも、近くに座った方の何人かに、興味を持っていただけました。また、25年前に提出した修士論文を、投稿しようとしているという話には、応援の言葉をいただくことができました。「修士論文の投稿について、またこの会で話してください」と複数の方に言っていただけました。

それで、その翌々日(3月22日)、東大数理で行われた研究集会(トポロジーと数理物理の新展開)で、指導教官であった河野俊丈先生にお目にかかり、修士論文の出版を前向きに検討してくださいと言っていただけました。私は、この「自伝風の読み物」の最初の記事(2025年11月10月に投稿した①)に、「私としては『記念投稿』のつもりです。古い論文ですし」と書いております通り、数学的には意味のないような投稿である気がしていたのですが、意味のある出版だと気がつかされて、驚きました。長谷川先生ともそれから何度かお会いしましたが、私が考えていたのとは違って、私の修論をお持ちの先生はときどきおられるようです。

この記事を書くのは時期尚早なのかもしれません。これを執筆している日は2026年4月1日で、私は自分の修士論文が、この25年間、どのような位置づけであったのか、ようやく知る日々を送っているからです。しかし、当時、考えたことを記事にする意味では、書けるでしょうし、それに、「自伝風の読み物」というシリーズの記事が、㉖の「向き」で終わるのはなんとも尻切れとんぼであり、書くことにしました。一度、「修士論文第一主定理」の記事は書きましたが、あまりよくなく没にしました。よく考えた末、この記事は「すうがく徒のつどい」にお集まりの、お若い皆さんを読者に想定しつつ執筆するのがよいのだと思いました。これから、数回に分けて、大学院時代の話と、その後の話を書きたいと思います。

修士論文の内容を、そのままこのブログに書くことは困難です。これらの記事は、物語調で書きたいと思います。数学的な内容については、これから出版される論文をご覧ください。私の修論は[F]です。

すうがく徒のつどいの皆さんの前で、お話をすることを想定しますと、予備知識の話となります。大学1、2年生で習う数学に加えて、「群、群の表示、セル複体、イソトピー(ホモトピー)、基本群(単連結)」等の知識がおありですと、読みやすいと思いますが、物語調で書きますので、すべてお話のように読んでいただくことが可能であるように執筆したいと思います。専門的な話は、飛ばし飛ばしお読みくださったらと思います。

前置きが長くなりましたが、本日は、修士論文の第一主定理の話、修士課程1年であった、1999年の話を書きます。

(2004年11月25日に、この内容で、岡山大で120分の講演を行いました。そのときの手書きの原稿がここに残っています。その図などをしばしば使おうと思います。)

1999年4月から、東大数理の修士課程1年となりました。河野先生にご指導いただくことになりました。年度の最初、教育実習に行くことになっており(私は教職の単位を取るのが遅く、教育実習がM1の最初となりました)、最初のセミナーの発表は、1999年の6月で、[HT]の紹介でした。1980年の論文です。これは、曲面の写像類群の表示を与えた論文でした。

${\Sigma_{g,r}}$を、種数${g}$、境界成分の個数${r}$の曲面(コンパクトな向き付け可能な2次元の多様体)とします。以下の図のようなものです。

曲面上の構造で、カットシステム(cut system)というものを考えます(ここだけ${r=0}$を仮定します)。この稿で出てくる曲面上のさまざまな構造は、すべてイソトピーで移りあうものを同一視しています。以下の図のように、${g}$個の単純閉曲線からなるもので、補空間が${2g}$穴あき球面となるようなものです。これを頂点(0-cell)とするような2-cell complexを考えるのです。1-cellは図にありますように、simple moveと呼ばれる、カットシステム間の「動き」です。2-cellは、図にかいてありますのは、3つのsimple moveからなる「三角形」です。このほか、四角形と五角形があります。この2-cell complexが、連結かつ単連結であるというのが、Hatcher-Thurstonの定理であり(*1)、ここから写像類群の表示が得られます。おおまかに「1-cellで連結である」というのが「生成する」ということに対応し、「2-cellで単連結である」というのが「リレーションがそれで足りている」ということに対応します。(*1)の証明は、Cerf理論というものを用います。

この論文の紹介は、セミナーで、3回くらいかかって発表したと思います。この論文はすぐれたアイデアに満ちた論文であり、読んでいて「その発想はなかった」と思うことがしばしばでした。(すぐれた映画やマンガが、しばしば「その発想はなかった」と思うような独創的なアイデアから生まれているのに似ているかもしれません。)Cerf理論は、図書館で本を借りて読みました。(図書館で本を借りるのが、カード式の時代でしたが、私の前とその前は、いずれも有名な研究者となっておられる先生が修士課程の時代に借りておられました。)「動くモース理論」とでもいうべきもので、これを2次元の場合に証明に用いていました。私は、Cerf理論については認めた上で、[HT]の議論を、3回くらいにわたってセミナーで紹介したわけです。終わって河野先生は、なかなか明解でしたねとおっしゃり(分かりやすい説明であったとおほめくださったのです)、こういうのおもしろいですかとおっしゃり、当時プレプリントであった[BK]と[FG]をくださったのです。同じ日だと思いますが、1999年6月22日、東大のトポロジー火曜セミナーで、中村博昭先生の講演がありました。[N]です。

少し余談です。[HT]は先ほど述べました通り、曲面の写像類群の表示を最初に求めた論文ですが、具体的な計算は以下に述べます通り、少し後のことになります。[Ha]で、その2-cell complexは改良されました。2-cellが減ったのです。これに基づき、[W]が、具体的に写像類群の表示を計算しました。私は[W]は読んでいないのですが、[Ha]は同じころ、読みました。確かに、[HT]のcomplexは、なくても単連結になる2-cellが何種類かあり、それらを減らした論文が[Ha]なのでした。7月ごろだと思いますが、河野先生が「渕沢君、何か話すことありませんか」とおっしゃいました。セミナーで話すことはないですかというおたずねで、私は「ありません」と即答してしまいました。考えてみますと、[Ha]は読んでいて、発表できるくらいにちゃんと理解していたので、あとから、[Ha]を話させてもらえばよかったなと思ったのでよく覚えているわけです。

なお、2004年の春ごろ、筑波大で、佐賀大(当時)の広瀬先生からうかがった話ですが、この[HT]の複体が単連結であることを、Wajnrybが、Cerf理論によらずに、エレメンタリーに証明したということでした。その論文は読んでいません。

[HT]のappendixに、曲面のパンツ分解を頂点とする、連結かつ単連結な2-cell complex を作る話が書いてあります。このアイデアから書かれた論文が、[FG]でした。[FG]もセミナーで紹介したと思います。(先輩から鋭い質問を受けたこと、また、これを考えているときの、駒場野公園という学校の近くの公園でうろつきながら考えていたということの記憶があります。)この、Hatcherのアイデアは、Hatcher自身の論文もあり、トポロジカルな部分は、プレプリントサーバにありますよとメールで教えてくださったのは、先ほどの中村博昭先生でした。それもプリントアウトして読みましたが、[FG]と同じ複体を定義しており、それが連結かつ単連結である証明も、本質的に同じでした。Hatcherのその論文は、[HLS]として出版されています。

(つまり、Hatcher-Thurstonは、Hatcher complexという、連結かつ単連結な2-cell complexがあることは、1980年の論文の時点から知っていたことになります。[HT]のappendixに「難しい」と書いてあるのは、作るのが難しいという意味ではなく、応用が当時なかったという意味です。)

この複体について以下の図をご覧ください。頂点(0-cell)が曲面(以降、${r}$は0以上とします)のパンツ分解、1-cellがS-moveとA-move(S-moveは先ほどのsimple moveと同じ)、2-cellは、5A、3A、3S、6AS、DCとあります。この複体は、Hatcher complexと呼ばれます。

先ほど、先走りでしたが、[HT]の複体が単連結であることを、Cerf理論を用いずに、エレメンタリーに証明した研究があると書きました。すると、このHatcher complexも、どなたかが、Cerf理論を使わないで、単連結性を証明した可能性があります。というのも、私は大学院を脱落した2006年以降、この二十年以上、新しい情報と隔絶されていて、その後の進展を何も知らないからです。よく調べてみたいと思います。先ほどから写真をあげている2004年11月の岡山大の講演のノートでは、「(Hatcher complexの単連結性は)Cerf 理論を使わなくても証明できそう。curve complexの高次連結性を使う。Nielsen-Thurston theory に頼る」と書いています。そこまで見えているならやりなさいよ!というところですが、当時は、この時点でもう数学の研究で生きることをあきらめており、そのアイデアは実行しなかったのでした。とにかく、この二十年の進展は知る必要があると思います。

このあと、[NS]という論文も入手して読み(これら、[BK][FG][HLS][NS]は当時プレプリントでした。1999年、2000年に相次いで出版されました)、自分なりのことを考えました。中村先生は、曲面のキルト分解(quilt decompositions of surfaces)というものを考え、そして、その曲面のキルト分解を0-cellとする2-cell complexを作られました(extended Hatcher complex)。以下の図をご覧ください。曲面のキルト分解とは、曲面のパンツ分解の上に、キルトと言われる、ぬいめをつけたもので、1-cellは、S-move、A-moveのほか、half twist ${D^{1/2}}$というものがあります。それで、2-cellは、Hatcher complexにあった5A、3A、3S、6AS、DCのほか、2S(back-tracking triangle for S-move)というものがあり、それで、extended Hatcher complex は連結かつ単連結になります。これが、中村先生の定理であり([N])、それを、[BK]に載っているlemmaで証明しました。私の証明は中村先生の証明と本質的に同じだと思われ、Hatcher complexの単連結性を使う以外は、エレメンタリーな議論です。([BK]のlemmaの証明は、[BK]でomitされているくらいエレメンタリーです。[BK]のlemmaの証明も私の修論は載せています。)

(こういうことを考える動機として、Belyiの定理による、数論的な興味などがあるようですが、詳しくないのでそういう背景の話は割愛させていただきます。)

それで、一見、中村先生の、キルト分解と同じような絵が、[BK]や、[FG]に載っています。[BK]では、markingと言っており、[FG]では、rigid structureと言っています。[BK][FG]では、パンツ分解ではなく、ディスクとアニュラスとパンツに分解する、DAP分解の上で、キルトのようなものを考えていますが、よくそれらの論文を読むと、中村先生のキルト分解とは違うものです。つまり、[BK]や[FG]では、あたかもキルトの片面に色がぬってあるようなものだと気づいたわけです。そこで、私は、曲面の色付きキルト分解(colored quilt decompositions of surfaces)というものを考えました。それで、曲面の色付きキルト分解を0-cellとし、しかるべき1-cellと2-cellを定めて、連結かつ単連結になるようにするというのが、私の修論の第一主定理であるわけです。その複体はcolored extended Hatcher complexと呼びました。以下の図をご覧ください。色付きキルト分解は、しばしばパンツ分解上のtrivalent graphのようにかきます。1-cellは、S-move、A-moveのほか、T-moveと、B’-moveがあります。(合唱をやっている仲間から、「合唱だ」と言われたことがあります。ソプラノ、アルト、テノール、バスに見えるのですね。偶然です。)そして、2-cellは、5A、3A、3S、6AS、2S、2A、2B’3T、DCです。これで連結かつ単連結になるという主張です。

証明のアイデアですが、色付きキルト分解の、色付きキルトを忘れてパンツ分解にする、colored extended Hatcher complexの0-cellからHatcher complexの0-cellへの写像${\phi}$(これは1-skeletonに自然に拡張できる)と、色付きキルト分解から色だけ忘れてキルト分解にする、colored extended Hatcher complexの0-cellからextended Hatcher complexの0-cellへの写像 ${\psi}$(これは1-skeletonに自然に拡張できない)を考えて、エレメンタリーに示すというものです。

この色付きキルト分解は、[FG]のrigid structure、[BK]のmarkingを単純化したものだと思えますので、[FG][BK]で構成された複体を、単純化したものが構成されると期待されますが、実際、T-moveとB’-moveというのは、[FG][BK]とほとんど同じになります。([FG][BK]では、B‘-moveは、B-moveと言っていますが、等価なものです。B’-moveのほうが対称性がよいです。2-cell complexの1-skeletonとしてホモトピー同値なものができます。)また、先ほどの2Aという2-cellは、[FG][BK]には出て来ません。それ以外は結果が一致します。もちろん、先行する結果は、おおまかにほとんど正しいのであり、私の研究はその先行する諸先生がおおざっぱに証明したところを、細かく論じたものだと言えると思います。

さて、これらの研究は、私は修士課程1年のとき、1999年12月の4日間くらいで、一気に考え、アイデアを出したと記憶しています。23歳のころで、頭が非常に活発だったころです。その4日間は教会に入りびたりで、本当に学校に行っているのかと当時の神学生に言われましたが、学業も非常に充実していたわけです。執筆が速ければ、私は修士課程を1年で修了できたことになります。

翌年(2000年)の1月、京都で行われた研究集会で、[FG]の著者の一人である、Louis Funarさんにお会いしました。Funarさんには、細かい質問をさせていただきました。Funarさんはていねいにお答えくださった上で、私の持っている版が最新でないのを見て、あとから最新版を送ってくださいました。(当時はメールに添付するという手段がなかったかと思います。郵送されて来ました。)

このあと、河野先生にこれをご報告するときがあり、それで、河野先生からおっしゃっていただいた次なる研究へ向かうためのいくつかのキーワードのうち、当時、活発に研究されていた、Torelli群というものがあり(曲面の写像類群のある正規部分群)、それで、Torelli群の定義を読んで、ひらめいたことがありました。Torelli群は、私の作ったこのcolored extended Hatcher complexにfreeに作用するのです。これは、ここからTorelli群の表示が得られる可能性があったので、これが第二主定理となって、修士論文にまとめられることになります。これは稿を改めます。

少し先を書きますと、私は博士課程の1年で病気になりました。2001年から2003年くらいまで休んでいました。2001年9月、リーマン面研究集会で、この話をしましたが、病気のせいでひどいものでした(ニューヨーク同時多発テロの前日でした)。病気ののち、少し学業にも復帰した時期がありましたが(2003年から2004年)、もう前のように頭は働きませんでした。この「自伝風の読み物」でも、さえたエピソードは出なくなります。当時の日記を見てみますと、どうやら、全力で考えると発作が起きるようであり、それで、病気後、全力で考えることができなくなったのです(実際、当時、全力で考えたら再発した可能性が大きいと思います)。それで、2004年に市川尚志先生によって引用されたことがあり([Ic])、2004年11月に、中村博昭先生(岡山大、当時)に招いていただき、岡山大における120分の講演をすることとなるわけです。詳しくは次回以降の記事に書きたいと思います。

現在、自分の修論を見てみますと、驚くほど鮮やかに考えており、もう今の私にこのころのさえた感じはとうていありません。この5年後である2004年の講演のノートにしても、現在の私には書けないようなさえた感じです。しかし、今回こそ、論文の出版をがんばろうと思います。つい最近(2026年3月)、読んだニュースがあります。落語家の春風亭昇太さんが、48年ごしで大学を卒業されたというものです。昇太さんは若いころ、大学は落語家になるために中退しておられ、現在、六十代になる昇太さんは、編入して卒業されたということです。多くの人が勇気づけられたようでした。おそらく「すうがく徒のつどい」の皆さんには、私が25年前に提出した修士論文を、いまから出版しようとしている話は、こういうニュースの一種に見えているのかもしれないと思いました。それで、今回は、そういうお若い方に聴いていただいているつもりで、自伝風の読み物の最後を書こうとしたわけです。論文の出版に向けてがんばります。

References

[BK] B.Bakalov, A.Kirillov Jr. On the Lego-Teichmuller game,Transform. Groups 5 (2000) no.3, 207-244

[F] H.Fuchizawa, Quilt decompositions of surfaces and Torelli group action on the extended Hatcher complex, preprint

[FG] L.Funar, R.Gelca, On the Groupoid of Transformations of Rigid structures on Surfaces, J. Math. Sci. Univ. Tokyo 6 (1999), 599-646

[Ha] J. Harer, The second homology group of the mapping class group of an orientable surface, Invent. Math. 72 (1983), 221-239

[HLS] A.Hatcher, P.Lochak, L.Scneps, On the Teichmuller tower of mapping class groups, J Reine Angew. Math. 521 (2000), 1-24

[HT] A.Hatcher, W.Thurston, A presentation for the mapping class group of a closed orientable surface, Topology 19 (1980), 221-237

[Ic] T. Ichikawa, Teichmuller Groupoids, and Monodromy in Conformal Field Theory, Commun. Math. Phys. 246, 1-18 (2004)

[Iv] Ivanov, Subgroups of Teichmuller Modular Groups, translations of Mathematical Monographs Vol.115, American Math. Soc. (1992)

[N] 中村博昭、リーマン面の”キルト分割”とGrothendieck-Teichmuller群、東大数理、トポロジー火曜セミナー、1999年6月22日

[NS] H.Nakamura, L.Schneps, On a subgroup pf the Grothendieck-Teichmuller group acting on the tower of profinite Teichmuller modular groups, Invent. Math. 141 (2000) no.3, 503-560

[W] B.Wajnryb, A simple presentation for the mapping class group of an orientable surface, Israel J. Math 45 (1983), 157-174

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