「独学で数学者になれますか?」

最近、Quoraはほとんどやっておりませんが、ときどきQuoraからお知らせが来ます。「独学で数学者になれますか?」というような質問がありましたので、私なりに考えたことを書きたいと思います。

作家の橋本治さんが書いておられたことを思い出します。作家は、失業と再就職を繰り返すような仕事だというようなことを書いておられたと思います。確かに、クリエイティヴな仕事、自営業的な仕事には当てはまることかもしれません。ひとつ作品を仕上げ、つぎにまた違う作品を書く。これで、生涯、「おもしろい」作品を作り続ける人が「作家」なのでしょう。おもしろい音楽を作り続ける人が作曲家であり、おもしろい(興味深い、価値のある)定理を発見しておもしろい論文を書き続ける人が数学者かもしれません。

少し「数学者」というほうは置いておいて、「独学」というほうに着目しますね。「独学」が流行っているのでしょうか。先生というものが信用ならない時代は、独学の流行る時代なのかもしれませんね。想像するに、多く「数学者」と言われる人が、しばしば東大の数学科を出ており、そういう人でないと数学者になれないのか?というご質問のようにも思えたりします。

そうかもしれないのですが、たとえば、高価な実験装置を必要とする多くの学問の分野と比べて、数学という学問は、紙とえんぴつだけでできるようなところがあり、その意味では、独学と言いますか、そのようなアカデミック・ポジションにいない人がいきなり数学上の世界的な業績を上げることはあり得ます。これも記憶に頼っていて申し訳ないのですが、かつて新聞で見た、ある折り紙の研究者(日本の話ではありません)は、確かあらゆる多角形は、折り紙を折って1回はさみで切るだけで得られることを証明し(間違いがあったらすみません!)、それでいきなり大学の数学の先生になったそうです。そういうことが、かなり稀ではありますが、あります。(昨年、2023年に、アメリカの高校生2人組が、世界ではじめて、正弦定理から三平方の定理を証明したというニュースも見ました。こういうことがあり得るわけです。)

それで、本日の本題としたい、「数学者」の定義の話に参りたいと思います。

私は、数学者のなり損ねです。東大の大学院にまで行きましたが、25歳の統合失調症により、論文を書く能力を奪われ、失意のうちに30歳で地方の中高の教員になったら徹底的なダメ教員でした。あるとき、同僚である若い数学の先生から、マージャンに誘われました。「数学者のマージャンは楽しいですよ!」と誘われ、思わず「私は数学者ではないですから」と答えたことを思い出します。

確かに、中高の数学の先生を、あまり「数学者」とは言わないでしょう。多くの人のイメージする「数学者」は、私が学生時代にイメージしていた通り、「数学の研究で生計を立てる人」のことだと思われます。

最初の橋本治さんの話に戻りますが、失業と再就職を繰り返すクリエイティヴな仕事が作家であるわけです。しかし、私も作家かもしれません。このようにブログを書いています。「文筆で生計を立てる人」が作家でしょうか?

そうすると、モーツァルトは作曲家でなくなります。モーツァルトは、フリーランスになって失敗し、極貧のなか、35歳で亡くなった人です。作曲で生計を立てられなかった人なのです。モーツァルトを作曲家と呼ぶのは、サリエリ先生に失礼かもしれません。ゴッホも画家とは言えなくなるでしょう。

(以下のようなアンケートをX(ツイッター)で取ったことがあります。誰もモーツァルトになりたくなかったです。)

私はプロの指揮者であったこともあります。勤めていた学校のオーケストラ部の顧問だっただけですが、確かに私はお金をもらって指揮をしていました。こういうのはプロの指揮者と言うのでしょうか。

ボロディンやアイヴズは、作曲家と認識されていますが、いわゆる「日曜作曲家」であったようです。作曲が本業ではなかったということですね。ボロディン(本業は化学者)やアイヴズ(本業は保険会社勤務)は、「アマチュアの作曲家」だったということになるのでしょうか。

「ピアニスト」と日本語のカタカナ5文字で言いますと、それはピアノの演奏で生計を立てている人のことを指しそうです。あまり町のピアノの先生を「ピアニスト」とは言わなそうです。しかし、以下もまた伝聞ですが(本日の記事はこういった人から聞いた話を記憶で引用することが多くてすみません)、「ピアノを習っているうちの娘」を「ピアニスト」と呼ぶ文化もあるそうです。つまり、ピアノを弾く人全般を「ピアニスト」という文化ですね。

その意味では、日本の中学生は、全員、「数学者」ということになりそうです。義務教育で必ず数学は学び、かつ、数学を学ぶ人はすべて「数学者」と呼ぶなら、そうなります。(小学生は「算数者」になりそうな気がしましたので、中学生と書きました。)これは、奇異に感じられるかもしれませんが、そうでもないです。と言いますのは、たとえば東大数理で数学の研究をする大学院生は、大学の先生と同じように、数学の研究者と見なされていました(東大に限らないと思います)。お金を払って数学の研究をしているか、お金をもらって数学の研究をしているか、の違いしかありませんでした。とすれば、数学の勉強をする中学生の延長線上に大学院生もいますので、確かに数学を勉強する中学生は数学者だと言えると思います。

というわけで「独学で数学者になれますか?」という質問は、なかなかよくできた質問だとも言えるわけです。私も楽しませていただきました。これは「独学」ということ、そして「数学者」ということをどうとらえるか、ということへの鋭い問いになっていたと思います。本日の記事はこのへんまでです。それではまた!

(サムネイルは未出版の私の修士論文から。内容はともかく英語文法はかなりめちゃくちゃだろうと思います(笑)。)

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