「お金とはお礼である」

お金とはお礼であり、お仕事とは信頼関係の構築でありました。そのことを改めて思わされることがありました。以下に書きますね。

最近、久しぶりに、採譜(耳コピ)のご依頼があったのです。ありがたいことです。JASRAC(日本音楽著作権協会)に著作権の許諾をいただくようなご依頼は1年以上ぶりでした。私は、2回、コンビニに行かねばなりませんでした。私はプリンタを持っていないからです。1回はその記入用紙をプリントアウトするため、そして1回家に帰ってボールペンで記入をし、それをJASRACにファックスするのでもう1回コンビニに行く必要がありました。

近くのローソンに行きました。そこには、もう何年もの付き合いになりますが、かなり精神的に安定していると思われる、ある店員さんがおられます。非常に感じのいい店員さんです。そのローソンへは、初めてお昼どきに行ってしまいましたが、近くに会社がたくさんあり、お昼ごはんを買う人で極めて混雑しているのでした。

私はプリンタで記入用紙をプリントしようとしましたが、1枚プリントアウト、すなわち10円のはずなのに、なぜか「60円」と表示されます。どうしても解決できなかった私は、レジを見ました。長蛇の列ができています。最後尾に並びました。例の店員さんがレジをしておられました。私は1枚プリントアウトしたいのに、どうしても60円と出てしまう話をいたしました。さすがに説明書を読んでくださいと言われましたが(信頼関係にあるのです)、こちらが食い下がると、その店員さんは、忙しいレジを一瞬抜けて、プリンタまで来てくださいました。

そして、私が6ページからなるファイルをプリントアウトしようとしているから60円と出ることをすぐに見抜いてくださり、レジに戻られました。私はおかげさまで1枚だけプリントアウトし、ついでに買い物をして、再びレジに並びました。もうそんなに混んでいませんでしたが、また同じ店員さんがレジをしてくださいました。私が「先ほどはすみませんでした」と言うと「いえいえ」と言いながら会計をしてくださいました。

それで私はいったん帰宅し、記入用紙に記入をし、再びコンビニに向かいました。じつは、ローソンの近くにもう1軒、コンビニがあるのですが、私はローソンに行きました。

この店員さんは、「真のお金儲け」「真の自営業」です。「あのコンビニにまた行きたいなあ」と客に思わせることができているからです。「お金とはお礼」であり「仕事とは信頼関係」だったのです。

イエスは「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」(新約聖書マルコによる福音書8章36節)と言っています。私は、パソコンが壊れると半狂乱になります。私は、パソコンが壊れたら一巻の終わりだと思っており、いまもパソコンからこれを書いていますが、常にパソコンが壊れることを異様に恐れているのです(いわば「どろぶねに乗っている」からでしょう)。そして、こんな使い方をしたらパソコンの寿命が縮むかなあ、などと思いながらパソコンを使っています。しかし、もしかしたら自分の寿命が縮んでいるのかもしれないのです。「たとえパソコンの寿命が長くなっても、自分の寿命が縮んだら、何の得があろうか」です。イエスは「真の損得勘定」の話をしていたのです。「真の損得勘定」とは、「ほんとうに大切なものを見失わない」という「賢さ」を意味するものだったのです。

「成功した自営業」と言いますと、「たくさん稼いでいる人」という意味になりかねませんが、それは違うということも認識いたしました。たくさんお金を稼いでいても、どろぶねに乗っていたら意味がありません。それよりも、ちょっとしか稼いでいなくても、大船に乗った気分で、満ち足りて暮らしていたら、それを「成功した自営業」と言うのです。本当の優先順位を間違わないとしたら、そうなります。

私はだんだんわかって参りました。「お金とはお礼である」こと。なるべく「どろぶね」から降りて大船に乗り、たくさんのかたに喜んでいただけるような「真の自営業」を目指すべきこと。私はまだ自営業の初心者です。あのローソンの店員さんのようなかたを見習いたいと思います。

目次