「余計なお世話」のありがたみ

最近、エクセルのマクロ(エクセルの操作の自動化。プログラミング)で、「時間割」を作りました。学校の時間割を自動で生成するマクロです。よくよく考えて、いままでその学校で使われていたものを大幅に上回るマクロを書きました。
学校の時間割で最も条件の厳しいのが「芸術」と「体育」です。たとえば「国語」や「数学」などは教室で行いますが、音楽は音楽室で行い、体育はグラウンドで行います。そして音楽室もグラウンドも学校に1つずつしかないのです。つまり、同時に2つ以上の音楽の授業はできない。プールも1つですから、同時に2つの水泳の授業はできません。このほか、美術室も1つ、柔道場も1つです。
ですから、一度に2つの水泳の授業が入っていたら警告が出るように作ることもできたわけです。しかし、長いこと時間割マクロの「ユーザー」でもあった私は、そのようには作りませんでした。「この日は特別に2クラス合同で水泳の授業をやるのだ」というときに、私の機能は「余計なお世話」になってしまいます。皆さんも、いろいろなソフトウェアやアプリで「この機能は気が利いているようで、余計なお世話だな」とお思いになった経験はきっとおありではないでしょうか。
私はこういう記事をワードで書くクセがありますが、その「校正」の機能ははなはだ「余計なお世話」です。「が」が2回続くだけでもう警告を出しますし「まず最初に」と書いただけで警告を出します。「まず」と「最初に」が同じ意味だから警告を出してくれるのでしょうが、本当に余計なお世話です。しかし、たまに本当に気づいていなかった誤字脱字を教えてくれることがあります。自分で自分の校正はできませんから、そういうときはありがたいです。
このように「親切」と「おせっかい」は紙一重です。あの「親切のかたまり」に見える、新約聖書ルカによる福音書に登場する「善きサマリア人」にしても、「余計なお世話」はあります。追いはぎに襲われてひん死の状態にあった人を助けた人の話ですが、彼は「その人を見て気の毒に思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注ぎ」(10章33節以下)と書いてあります。以下の話はネット検索しただけで、私は医学の専門家ではありませんのでよくわからないのですが、この「オリーブ油を注」いだというのは、感心できない処置らしいです。「善いサマリア人」も、もちろん善意ですけど「余計なお世話」をしていた!
私が困っているのを見て、「キリスト教系の職場の会計の仕事があるのだけど」とおっしゃった教会のご婦人がおられます。まさに「余計なお世話」でしたが、余計なお世話というものはありがたいのかもしれない。多くの「本当の余計なお世話」はスルーすればよい。でも、たまに有益なものが混じっているからです。皆さん、遠慮し過ぎず、なるべく余計なお世話は焼きましょうね!
