「巧言令色すくなし仁」に匹敵する現代の逆説「クレヨンしんちゃんはお育ちがよい」

「いつも笑顔で」と標語のように言われます。わかりやすいプレゼンを要求されます。私は教員であったころ、「わかりやすい授業」を常に要求され続けました。私に「わかりやすい授業」はできませんでした。私の授業はわかりにくく、常に授業は崩壊していました。それでも「わかりやすいプレゼン」は要求され続けました。

最近私は、「巧言令色すくなし仁」という言葉を、言葉巧みでいつも笑顔なのは、どろぶねに乗っている可能性が高い、というような意味にとらえるようになってきて、人生観が変わりつつあります。「剛毅朴訥仁に近し」も同様の意味で、口下手な大船乗りのかたがいらっしゃる話だと認識しております。以下にいくつかの例を挙げたいと思います。

「巧言令色すくなし仁」「剛毅朴訥仁に近し」というのは、もともと逆説(パラドックス)であったと私には思えます。これらのパラドックスに匹敵するものが、たとえば「クレヨンしんちゃんはお育ちがよい」という命題だと思います。クレヨンしんちゃんは、「おしりふりふりー」と言っていて、一見、いかにも「お育ちが悪い」ようです。しかし、実際にはしんちゃんは大らかな少年で、両親も大らかで、一族がそろって大らかです。大船に乗ったような安定感があります。このように、両親から「お前はいい子」と教わって大人物に育つことを「お育ちがいい」と言うのです。本当の意味での「お育ちのよさ」です。したがって、クレヨンしんちゃんはまぎれもなく、お育ちがよいです。

「のだめカンタービレ」を読んでいても、のだめはとても大らかです。実際にいたらかなり周囲が迷惑するタイプであることは、ミスター・ビーンに匹敵します。のだめカンタービレを5巻まで読んだ限りでは、のだめの両親は登場しませんが、おそらくのだめの両親は、のだめをのびのびと育てたのでしょう。「あれだめ、これだめ」とか、のだめができないとあきれてみせたりため息をついてみせたりして育てていないでしょう。のだめの両親もおそらく大らかな人であることがうかがわれます。一般に「親の顔が見てみたい」という言いかたが成立するのは、「お育ち」を知りたいからです。ミスター・ビーンもお育ちがいいのでしょうね。

映画「となりのトトロ」で、さつきの妹めいが、はじめてトトロに出会うシーンにおいては、あの巨大な化け物を前にして、めいは「あなたトトロというんだね!」と言っています(記憶によります。となりのトトロは見返してみたい映画のひとつですが、最近、DVDプレイヤーの調子が悪くて)。これは驚くべき大船ぶりです。この、あんな化け物に出会って堂々とするさまは、「桃太郎」に出てくるおばあさんが、川上から大きな桃が流れて来たときに、拾っちゃうのに匹敵します。そんなに巨大な桃が川から流れて来て拾っちゃうおばあさんは、確かに大船乗りであると言えましょう。これがなければ桃太郎は生まれなかった。

となりのトトロの登場人物はだいぶ大船乗りが多い気がします。「まっくろくろすけ出ておいでー」とか、お父さんも入院中のお母さんも大船乗りであり、なさけの厚い、「仁に近い」人物として描かれています。あとは、ルパン三世も大らかだなあとか、銭形のとっつぁんも大らかかもしれないとか、桜木花道も大らかだとか、いろいろマンガの登場人物で、いままでにない見方をするようになりました。

というわけで、「巧言令色すくなし仁」に匹敵する逆説は「クレヨンしんちゃんはお育ちがよい」でした。わかりやすい説明ばかり要求されるプレゼン至上主義に対抗するのはクレヨンしんちゃんの「おしりふりふりー」であると言えましょう。

目次