あなたはトムとジェリーのどちらかといえばいずれのほうに感情移入して見ていますか?

皆さんは、どちらかといえば、以下のいずれのほうに感情移入して見ておられますか?
・トム
・ジェリー
というアンケートをX(ツイッター)で行なってみたのです。以下のように、20票の投票をいただき、うち60パーセントがトム、40パーセントがジェリーに感情移入して見ておられました。

24歳くらいのころ、河合隼雄さんの本が流行っていました。同じ年齢くらいで少し先輩(26歳くらい)の教会の伝道師も河合隼雄さんの本が好きでよく読んでいたようですが、あるときに、顕著なことに気が付きました。彼は河合隼雄さんの本を、河合隼雄さん目線で読んでおり、私は河合隼雄さんの診察を受ける患者の目線で読んでいたのです。
聖書を例に取りますね。旧約聖書の士師記あたりは、強い士師(しし。”さばきつかさ”)がたくさん出て来て、ペリシテ人をつぎつぎとやっつけます。サムソンとか、かなりの乱暴者ですが、聖書とは昔のテレビですから、これは敵をばったばったとやっつける痛快な物語(番組)として受け取られて来たのでしょう。「ウルトラマンに倒されるバルタン星人がかわいそう」というふうにウルトラマンを見る人があまりいない(であろう)ことに似ています。(でも私にはやはりサムソンはとてつもない乱暴者に思えますけどね。)
もうひとつ、聖書を例に取りますね。イエスの弟子はみんな男であった、男尊女卑ではないか、などと言われることもあります。しかし、イエスは宣教開始のときに以下のように言います。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」(新約聖書マルコによる福音書1章15節)。この「悔い改める」という言葉は、よく聞く解説では、「反省する」という意味ではなく「見方を変える」という意味なのだそうです。ここから先は私の独断となりますが、ということは、イエスは以下のように言いたいのかもしれません。「見方を変えなさい。ここからは私が主役なのではなく、私に助けてもらう人が主役なのだよ」。
そう見てみると、イエスに助けてもらう人は、老いも若きも男も女もいます。外国人もいて、いろいろです。
世の牧師あるいは神父の多くは、イエス目線で聖書を読んでいます。先述の、私が24歳だったころの教会のベテランの主任牧師も、その傾向にありました。いま私が親しくしてもらっている私よりひとまわりほど若い(とはいえ三十代です)牧師も、その傾向(イエス目線傾向)にあると自覚しています。しかし、聖書というのは、助けてもらう目線で読んだときに威力を発揮する書物です。私がよく出す例でいえば、イエスに見えるようにしてもらう盲人の物乞いであるバルティマイが主役なのです!イエスではなくて。むしろ。
奥田知志さん(ホームレス支援で知られる北九州のNPO法人「抱撲」の理事長)の出たNHKの「プロフェッショナル」の最後の10分くらいは、「まっちゃん」と言われる元ホームレス(故人です)の人の物語となります。あれは、少なくとも最後の10分間は、奥田さんの番組というより、まっちゃんが主役の番組になっていることは奥田さん本人もおっしゃっておられることです。
トムとジェリーのアンケート結果から改めて思ったことでした。以上です!
