金曜ロードショー「アラジン」を見て

本稿執筆時点でおととい、夜の授業がありませんでしたので、家族で金曜ロードショー「アラジン」(ディズニー映画、実写版)を見ました。かつて公開されたとき(4年前?)に息子と見て、「ア・ホール・ニュー・ワールド」(アラジンと王女のジャスミンが空飛ぶじゅうたんに乗って歌う挿入歌)を採譜することを思いつき、フルートとピアノで演奏したという映画です。(そのころは著作権侵害時代でした。2022年9月から私は著作権的にはホワイトになりまして、それ以前の著作権侵害はJASRACにゆるしてもらっています。)これを改めて見ての感想を書きます。
王女のジャスミンの父である国王の信頼する側近で、ジャファーというのがいます。じつは国王の座をねらっている「悪者」なのですが、このジャファーは、典型的な「どろぶねに乗った人物」として描かれています。登場して間もないときに、だいたい以下のようなことを言ったと思います。「るいるいたるしかばねの上に現在の地位がある」というようなこと。なぜ、そんなたくさんのしかばねの山を築いてまで、権力の座に就きたいのか。ここで優先順位の転倒が起きています。どろぶねに乗っている人の特徴は、優先順位の根本的な間違いを犯すことです。
この日は、私はクリニックに通院しましたが、その帰り、薬局のテレビで見たニュースがあるのです。ある男が、ある女性を結婚詐欺でだまして、700万を払わせた容疑でつかまった、というニュースです。これも価値観の転倒が起きています。お金とはお礼です。だれかを幸せにすることによるお礼としてお金をいただくのが「金儲け」と言われる行為です。なぜ、その女性を不幸にしてまでその男はお金を稼いだのでしょうか。なんのために700万のお金を手に入れたのでしょうか。そんなニュースを見た夜の金曜ロードショーだったわけです。
主人公であるアラジンは、魔法のランプを手にし、ランプの魔人ジーニーに、3つの願いをかなえてもらいます。こういう「自分の願いをかなえてもらう」のには最大限の知恵を使うことになります。ある友人は「流れ星に3回願い事を言うと願いがかなうというのは迷信だと思うが、それはそれとして、流れ星を見た瞬間に願い事が3回言える人というのは、よほど普段から願っている人だ」と言っていました。聖書に出てくる盲人バルティマイは、イエスから「わたしに何をして欲しいのか」と言われ、躊躇なく「先生、見えるようになりたいのです」と言いました。「1億円が当たったらどうしますか」と言ってとっさに使い道のわからない人は多いとも聞きます。願い事を言うというのはなかなかできそうでできないことなのです。
いっぽうでこれを「ランプの有効活用」というとまた違う気もします。学校では「時間を無駄にするな」とよく言われます。私は「時間貧乏性」でした。大学院生のころ、教会学校のキャンプの引率に行くのさえ、3日間、研究する時間を無駄にしたように思っていたものです。私もなかなかのどろぶねぶりなのです。時間は無駄に使ってもいいではないか!効率優先の世界観からクリエイティヴィティは出ないと思います。
そして、魔法のランプを手にしたジャファーは「オレを世界一強い魔法使いにしろ!がはははは!」と高笑いします。まことにえげつないどろぶねぶりなのですが、映画のなかのジャファーはその強欲ぶりで自滅します。ところが、現実世界ではジャファーのごときどろぶね乗りが、国王(上司)をしています。現実は映画よりもっとずっとえげつないわけです。皆さんの上司にもいませんでしょうか。パワハラ上司、どろぶね上司。私の勤めていたときにもいたものです。私もだいぶ苦しみました。
ですから、せめて映画ではジャファーは滅びるのです。そしてアラジンとジャスミンは結ばれる。さっきの結婚詐欺の男が逮捕されるニュースも同様で、実際にはもっとずっと多くの詐欺師にたくさんの人が不幸にさせられています。せめて、ある詐欺師が逮捕されたというのをニュースで見たいのです。
でも大丈夫。皆さん、どろぶね乗りは、そもそもどろぶねに乗っている時点で、つねに不安定な人生を歩んでおり、どろぶねに乗っていることそのもので「裁き」を受けているのです。聖書で「信じない者は既に裁かれている」(新約聖書ヨハネ福音書3章18節)という言葉がありますが、ここでいう「信じる」とは「大船に乗って安心している」というような意味です。どろぶねに乗った人はそれそのものが「裁かれている」のです。花さかじいさんのお隣の強欲じいさんも、最後には滅びます。パワハラ上司は、それそのものが裁かれています。
というわけで、金曜ロードショーに勇気をもらったというわけでした。いやあ、映画ってほんとうにいいものですね!さいなら、さいなら!(古い)
