元日の銀座はどこもやっていなかった

東京に住んでいた学生時代、おもに遊ぶ町は、渋谷や新宿、池袋などでした。楽しい思い出がたくさんあります。銀座も楽しい町でした。楽器をやっている人には楽しい「山野楽器」とか「ヤマハ」があり、また、「教文館」というキリスト教の書店もありました。なぜか教文館のキリスト教書のフロアには当時、数学の専門書があったりしました(買ったこともあります)。
さて、教員になってだいぶたった、十数年前のことだと思います。正月に旅行をしていました。元日は東京で迎えました。1月1日に、銀座へ行きました。どこも、なにもやっていませんでした。山野楽器もヤマハも、教文館もやっていませんでした。それどころか、あらゆる店が閉まっているのです。どこもやっていない銀座をうろうろした挙句、かろうじてやっていた喫茶店に入って、時間を過ごすばかりでした。
これは「失敗」と位置付けられました。高い交通費と宿泊代を無駄にして、せっかく東京の銀座へ行ったのに、どこもやっていないだなんて!ところが、この出来事から十数年がたついま、この経験は、「かけがえのない失敗」となりました。「元日の銀座はどこの店もやっていない」という事実を肌で実感するという、滅多にできない経験だったということに気づかされたのです。
私は、高校時代から、アマチュアオーケストラを趣味として来ました。ところが、その経験は、非常に中途半端なものでした。大学オケは2年と1か月でやめてしまっています。私には、たとえばブラームスの交響曲の演奏の経験がありません。ブラームスの4つの交響曲は、アマチュアオケでの演奏頻度は極めて高く(プロでも高いですが)、ブラームスの交響曲の演奏の経験がまったくないというのは、モグリと言われる可能性のある「恥ずべき」ことだと思っていました。「ブラームスの交響曲の演奏の経験がない」ことが「プラス」のことととらえられるようになってきたのは最近です。
私は、中高の教員だった時代に、オーケストラ部の顧問でした。ブラームスの交響曲第1番(通称「ブラ1」)は、顧問だった2011年ごろ、そのオケがやっています。私は、演奏したわけではありません。そのころ、非常にアクの強いコーチの先生がおり、私のような下っ端の顧問は、そのコーチのもと、奴隷のように働かされたのです。あまり書くとぐちになりますので、ほどほどにいたしますが、非常に精神的にも肉体的にも参りました。私は「ブラ1」の演奏経験はないものの、このような経験があります。これは、「『ブラ1』をやったことがあります」という、多くのアマチュアオケの人より、よほど「濃い」経験をしているということに気づかされたのも最近です。
私は、30歳で教員になり、ダメ教員すぎて、41歳のときに同じ学校の事務員にさせられました。事務員も向いていない仕事であり、非常に苦しみましたが、総務の仕事をしたことは、いま考えると貴重な経験でした。学校というものが、教員だけではなく、事務員でまわっていることに、肌で気づかされたからです。教員が、なんとなく湧いて出てくると思っているクリアファイルやごみ袋も、事務員が購入しているのでした。私学でしたが、教員が自分たちの授業で成立させていると思っていたその学校が、じつはかなりの県からの補助金(つまり税金)で成立していることを知ったのも総務の時代でした。
「元日の銀座はどこもやっていない」という経験も、当時はお金と時間を無駄にしたようにしか思えなかったものですが、ずっとのちに意味のある経験というふうにとらえられるようになったわけです。失敗はかけがえのない経験になることがある、ということを思わされます。
(※もっとも、これも十数年前の話です。現代の銀座は、元日もやっていたりするのですかね?)
