中学3年のときの吹奏楽コンクール

私は物心がついたころから絶対音感があり、ピアノを習っていましたが、中学で吹奏楽部に入ってから、フルートを始めて吹奏楽をやりました。高校からオーケストラ(管弦楽)になりました。本日は、中学時代の最高学年であった中学3年のときの吹奏楽コンクールの話を、当時のプログラムを見ながら、書きたいと思います。

平成2年(1990年)のことになります。このころはまだ日記をつけていません。6月25日に「音のお祭り」という吹奏楽の祭典があり、8月4日に吹奏楽コンクールがありました。

当時のプログラムを見ますと、懐かしい名前がたくさん書いてあります。最高学年ですから、同輩か後輩の名前です。当時の吹奏楽は女子の割合の著しく高い部活でした。私はけっこうモテていたのですよ!勉強ができて、フルートがうまかったですからね(笑)。人生で最もモテていたのが中学3年でしょう。

以下の2曲が演奏した曲目でした。

課題曲 間宮芳生(まみや・みちお)「カタロニアの栄光」

自由曲 エドモンソン 「ジュビリーズ」

自由曲は、顧問の先生は生徒に選曲を任せていたと思います。私は選曲にかかわっていませんが、当時の女子の皆さんがやりたかった曲でしょう。おそらくスクールバンド向けの曲ですが、このエドモンソンのジュビリーズは、冒頭の五度の跳躍が全体を統一しており、私はなかなか好きな曲でした。当時、私はピアノでバッハの「インヴェンション」を習っており、このような「論理的に書かれた」曲は好きだったのです。当時、好きだった曲として、モーツァルトの「ジュピター」とか、ラヴェルの「ボレロ」などがありました。そんなうちのひとつとして、エドモンソンのジュビリーズをとらえていたと思います。

順番は逆になりましたが、課題曲の、間宮芳生の「カタロニアの栄光」についてです。この曲も好きでした。課題曲は、4曲あるうちから1曲を選ぶのでした。少し覚えていることは、「カタロニアの栄光」のフルートパートには、高いソとラのナチュラルのトリルという、難しいトリルが出てきたことです。私は個人レッスンの先生にやりかたを教わりました。あとからだんだんわかりましたが、これは、アルテスという有名な教則本にも言及してある、不可能なことで有名なトリルでありまして、有名なところでは、メンデルスゾーンの結婚行進曲に出て来ます(この曲は大学2年のときにやりました。これもいつか記事が書けたらと思います)。清水脩の「修善寺物語」のピッコロにも出てくるそうです。このような困難なトリルを、中学生向けの課題曲でやらせるとは、なかなか酷ですね(笑)。でも、この曲はいい曲であり、好きでした。

指揮はいずれも音楽の先生でした。非常に的確な指揮をなさる先生でした。ありがたい音楽の先生だったと思っています。

引率は、音楽ととくに関係のない技術の先生だったと思います。コンクールでは、とくに課題曲は4曲しかないのを、えんえんと33校も聴きましたので、その先生は、ひたすら同じ曲を何度も聴く現象をおもしろがっておられました(「またか!」)。

当時のプログラムを見ますと、いま考えると、各学校が、それぞれの工夫を凝らした自由曲を演奏しています。ドビュッシーの「夜想曲」とか、ファリャの「三角帽子」のような、クラシック音楽の編曲を演奏する団体、またそれ以上に多いのが、バーンズのアルヴァマー序曲や、藤田玄播さんの「天使ミカエルの嘆き」など、吹奏楽のオリジナル曲を演奏する団体などです。当時のプログラムを見ていても、なかなか興味は尽きません(当時はさっぱりわかりませんでしたが)。「音のお祭り」のほうは、もっとくだけた曲目を演奏する学校もありました(複数の学校が「米米クラブ」の「浪漫飛行」を演奏しています。この会ではないものの、私もこのころ文化祭でこの曲を演奏したと思います)。われわれはこのときもエドモンソンのジュビリーズを演奏しました。

このコンクールの成績は記録が残っていませんが、おそらくそれほどいい成績ではなく、先に勝ち進むこともなかったと記憶しています。でも、とてもいい思い出になっています。

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