年甲斐もなく山登りをしました

先日、日曜日に休みを取り、家族でわりと近くのお城に初めて行きました。そのお城は、山のてっぺんに天守閣がありました。そこはハイキングの道のようでした。私はハイキングは若いころから大好きでした。運動おんちの割に、山歩きは大好きだったのです。どれくらい久しぶりかはわからないものの、さっそく登ってみました。
想像を絶する大変さでした!!
へとへとになりました。何回も地面にへたり込みました。登りながら足をひねったりしなかったことと、トイレに行きたくなったりしなかったことに感謝し、2時間くらいかかるかと思いましたが、どうやら1時間で頂上のお城に到着しました。完敗!天守閣を見て、帰りはロープウェイで帰りました。
トシを感じましたね。もう若くはないのだ。いつからこういうハイキングをしていないのかわからないけれど、もうトシを考えよう。そう思えたのでした。
102歳で現役で亡くなった医師、駿河敬次郎先生も、たとえば80歳、90歳、100歳になって手術をしていたとは思えません。というか周囲がとめるでしょう。では駿河先生はどういう「生き残り」をかけて102歳まで現役医師を勤めることが可能だったのか。もしかして駿河先生は「極上の診察」をしていたのではないか?
ウラディーミル・ホロヴィッツという二十世紀の大ピアニストがいます。1983年に初来日して東京でリサイタルを開いています。ひどい出来だったことで有名です。「ボロヴィッツ」とか言われたそうです。この日の演奏は、(違法アップロードかもしれませんが)YouTubeで聴いたことがあります。なるほど。ひどいかも。
しかし、ホロヴィッツのラスト・コンサートとなった1987年のハンブルクのリサイタルは、ここにCDがありますが、とてもいい演奏です。ホロヴィッツは有終の美を飾ったのです。これがなにを意味するか、ほかにもたくさんYouTubeにあるホロヴィッツのさまざまな時期のリサイタルを聴くことによってだんだん明らかとなっていきます。
ホロヴィッツは若いころから超絶的なテクニックを要する曲をばりばりと弾く感じでピアノ活動を展開してきたのです。そして、ホロヴィッツのそのハンブルクのラスト・リサイタルでは、意図的に、ホロヴィッツにとっては「やさしい」曲が選ばれています。モーツァルトのソナタや、シューマンの「子供の情景」など。つまり、最晩年のホロヴィッツは「それほど難しくない曲を『極上のセンス』で聴かせるピアニストになっていた」ということです。例の東京ライヴは、ホロヴィッツが、自分の技巧的な衰えに気づかず、若いころと同じようなテクニック・バリバリのプログラムを組んだことからくる失敗であったとわかるわけです。
このように、自営業というものは、年齢による衰えを、じょうずにカバーしつつ、継続するものだったのです。私は山登りで懲りました。もう、山登りはしません。そして、今後、いろいろ来る寄る年波は、その都度その都度、工夫しながら、この自営業を成り立たせていきたいと、改めて思った先日のハイキングでした。
(以上ですが、そのホロヴィッツの「伝説の」東京ライヴを聴いた人というのは、いまとなっては「あの伝説の東京ライヴを聴いた」ということで、かけがえのない経験をしたのかもしれません。そこまで含めて自営業であるとも言えますね。)
