勉強時間と勉強の「比例」?

中学1年生の数学の教科書で、以下のような表が出ます。平日1日に家で勉強する時間です。

これは、私も教員だったころに、アンケートを集計して、職員会議で発表する役目を担ったことがあります。わりと新米の仕事であったと思います。

「倍にしたら倍になるもの」が「比例」と言われます。「倍にしたら半分になるもの」は「反比例」と言われます。たとえば、「家で宿題をやった。1時間で6問やった。2時間で12問やった」というふうになっていれば、時間を倍にしたらやった宿題の量も倍になりますので、比例していると言えます。「6個のおまんじゅうを1人で食べた。2人で食べたら1人3個となった」といえば、人数とおまんじゅうの個数がが反比例していると言えるでしょう。

たくさん家で勉強したら、たくさんためになるのでしょうか。あまりこういう議論をしていると「勉強とは時間ではない」というツッコミが入ることがあります。以下の話は記憶によっており、正しくないかもしれないのですが、ネット検索で適切なものが調べられませんでしたので、どうぞ細部は正しくないかもしれないと思ってお読みくださいね。

作曲家の故・すぎやまこういちさんの代表作は、「ドラクエ」の音楽です。おそらく私が小学生であった40年くらい前の話なのでしょう(ファミコンの時代でしょう)。当時、50代のベテラン作曲家であったすぎやまさんが、ドラゴンクエストという新しいゲームの音楽の作曲を依頼され(当時はゲームの音楽をこのような名の通った作曲家に依頼すること自体が珍しかったとも聞いた気がします)、ゲームのプランを見せられた瞬間、極めて短い時間で「ひらめいた」のがかの有名なドラクエのテーマ音楽であったというのです。すぎやまこういちさんは、極めて短い時間で、クリエイティヴィティを発揮なさいました。すぎやまさんに倍の時間が与えられても、倍のクリエイティヴィティが発揮されるわけではないでしょう。この意味で、時間とクリエイティヴィティは比例しないと考えられます(クリエイティヴィティはそもそも数で表せないので「倍」という概念が定義できないことも言えます。「経済効果」で表したらもうすでにクリエイティヴィティではないでしょうね)。

数学もわりと芸術性の高いものですので、これに似ています。私自身の経験ですが、大学院生のころ、だいたい数学の論文は、すぐれていると言われるものほど、意表をつく(=それまで誰も思いつかなかったような)アイデアで書かれていまして、とっさに理解できなかったりします。しかし、それがわかるときは、1日の勉強が3分で終わることもありました(3分勉強して、「わかった」となって、それでその1日の勉強が終わり)。私自身の最もクリエイティヴな著作である修士論文においても、コアなアイデアが出ていたのは修士課程1年のときの12月の4日間くらいでありました。

勉強とは大げさでなく学問ですので、確かに勉強時間とクリエイティヴィティは比例しないものなのでしょう。私自身、しばしば入浴中にも「予習」(つぎの授業のことを考えている)をしていることはあります。私は入浴中も仕事をしていると言えるかもしれません。そして、クリエイティヴィティは数で表せないことも考えあわせますと、冒頭に挙げた「平日1日に家で勉強する時間」という統計も、勉強の「成果」とはなにかを考えないとあまり意味をなさないとも言えます。いい成績をとっていい高校へ入ることでしょうか。なんのために勉強をするのか、考え直さねばならなくなるような中学1年生の統計の例でした。

(※たったいま私が書いたこのブログ記事も、大げさに言えばクリエイティヴィティの発揮であり、時間に比例しないものを書いていたわけです。)

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