『ベルリンうわの空』と『竹取物語』

私は小さいころ『竹取物語』みたいな話が好きでした。『竹取物語』は『桃太郎』とは違います。竹取物語は、「なぜかぐや姫は竹から生まれたのか」「なぜかぐや姫は5人のプロポーズを断ったのか」などの理由が、最後にすべて明らかになるのです。『竹取物語』は周到に作られたフィクションでした。私が小さいころ好きだった話は、こういう話だったのです。
1年くらい前に、私の友人が、漫画を送ってくれました。『ベルリンうわの空』という漫画です。ベルリンに住む著者が、日常で起きるささいな奇跡の連続を書いていく漫画です。私自身、2020年9月に4週間、2021年8月に3週間、ある町に単身で滞在して、日常に起きることがすべて奇跡であるということを経験しています。それらのときの奇跡的な出来事のかずかずはまた日を改めてブログに書けたら、と思っています。『ベルリンうわの空』はそういう日常の何気ない出会いや出来事を書いていく漫画なのです。
『ベルリンうわの空』に出て来るシーンで、つぎのようなものがあります。2人の人物が電車に乗っています。「花、買う?よく花を買う人を見るけど」「ぼくも花を買う習慣はないね」(字句通りの引用でなかったらごめんなさいね)。そして、電車から降りると、もうこの会話は以降の場面で意味をなさないのです!「ベルリンでは花を買う人をよく見る」ということは読者に伝わりました。しかし、なんのためにここに置かれた会話なのかは、最後までわかりません。『竹取物語』とは対照的です。でも、私たちの日常に近いのはこの『ベルリンうわの空』のほうではないでしょうか。
『竹取物語』の現代語訳もなさっている作家の星新一さんは、ショートショートで有名です。私には司書の経験もありますが、いまの中高生さんも喜んで星新一さんの本を図書館で借りていきます。これも記憶に頼った引用ですみませんが、星さんが小説のコンクールで審査をなさるときの話です。最初に季節の描写などがあって、それで最後まで読んで、その季節である必要がなかった場合、星さんはその作品を減点していたそうです。『ベルリンうわの空』は星さんから点数はもらえない作品だろうと思います。(そもそもジャンルが違うと思いますけど…)
いまから20年以上前の話ですが、ある数学のアイデアを考えていたとき、そのとき歩いていた見知らぬ町(上述の町とは違う町です)の風景を同時に思い出します。また、就職してから大学院時代のある友人となぜか年に1度、正月ごろにメールでやりとりするのが続いたときがありましたが、それを、ある温泉旅館からメールしていたことを思い出します。「温泉旅館」と「正月」と「その友人との会話」に関連する意味はないのですが、それでかえって印象深く覚えているのです。
弁護士の伊藤真さんは、サスペンダーをしていることで有名で、司法試験を受ける受験生の前でしゃべるときも、毎日、違う柄のサスペンダーをするそうです。受験生が「伊藤先生があの派手な柄のサスペンダーをしていたとき、あの刑法の話をしていたなあ」と思い出せるようにするためだそうです。「サスペンダーの柄」と「法律の話」は無関係ですけど、これで思い出せる可能性が少し増えるわけです。伊藤さんはこれを「記憶のフック」と呼んでおられました。
2014年に教員免許更新講習を受けたとき、記憶心理学の先生から聞いた話があります。脳というのは、余計な情報が付加されていたほうが覚えやすいし思い出しやすいという話です。たしかに「その日は雨が降っていた」となると、かなり思い出しやすくなりますし、「その日は雪が降っていた」となりますと、それはもうかなりはっきりした記憶になります。だから、私としては、小説の最初に、意味もなく季節の描写があってもいいと思うのです。(これ、星さんに対抗する意味合いで書いているのではないのですが。)
『ベルリンうわの空』を送ってくれたのは、ある大学の聖書の先生でした。聖書というのも、意味のない奇跡に満ちた本であって、緻密に読まれているわりには緻密に書かれているわけではない本だというふうに感じますので、『聖書』という本は、『竹取物語』と『ベルリンうわの空』のどちらに近いかと言うと、後者のような気がするわけです。
それから『ベルリンうわの空』にはたくさんの友達が出て来ます。お金に困っていても、友達がたくさんいたら、どうにかなるのかもしれない、というようなことも思いながら読みました。それから1年、私はいま、たくさんの友達におもにメンタル面で支えてもらいながらどうにか生きながらえています。確かにお金は重要ですけど、メンタル面での友達の支えの大切さを実感する1年でした。これからもますますそうかもしれません。
私たちの人生は『竹取物語』よりは『聖書』に似ていて、些細な奇跡に満ちていると思うわけです。私が2020年と2021年にある町に滞在して小さな奇跡をたくさん経験したというのも、普段からそういう奇跡はたくさん起きているのでしょうけれども、どうも日常に忙殺されていて、そういう「奇跡センサー」が働いていないのではないかと思わされます。聖書には「水がぶどう酒に変わった」「目の見えない人が見えるようになった」「重い皮膚病の人が一瞬で治った」「海の水がふたつにわかれた」など、びっくりするような奇跡の物語がたくさん入っている一方で「ナルドの香油のつぼを割った」というような、どうしてその話を載せたのかわからない”どうでもいい”記事もたくさん載っています。しかし、この「ナルドの香油のつぼを割った」話を「目が見えない人が見えるようになった話と同等くらいに、後世に書き残す価値のある話だ」と判断した当時の人はセンス抜群だったと思います。
私は他の人のブログの記事を読んでいて「ダイエットで10キロ減量という目標を達成しました!」というような記事を見るとなんだかホッとします。いつでも「重い」記事でなくてもいいのですよね。何気ない日常を大切に生きたいと思います。機会があれば、またその町に行きたいです。
