人間には執着する権利がある

高校3年生のとき、オーケストラ部で、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」をやることになりました。これは生涯で最も一生懸命やった曲です。当時はインターネットはほとんどなく、音楽はCDを買って聴くよりない時代でした。あるとき、ストコフスキー編曲・指揮の「展覧会の絵」のCDを買って聴いてたまげました。驚くほど自由奔放な編曲だったのです。のちに、ベルリオーズの幻想交響曲の、ストコフスキー指揮のCDを聴いて、その解釈に圧倒された私は、ストコフスキーのファンとなりました。これが17歳か18歳のときのことであり、現在、もうすぐ50歳となりますが、30年以上のストコフスキーのファンとなるわけです。
インターネットが一般的になった初期、確か1999年か2000年のことですが、ある海外のストコフスキーマニアとインターネットで出会いました。彼は世界的なストコフスキーのマニアでした。メールでいろいろ情報交換をしました。それから四半世紀が過ぎる現在も、連絡を取り合っています。彼とは2003年か2004年に一回、東京で会っています。歳はだいぶ上であると感じました。したがって彼は、私が勤めたときのことも、仕事がうまくいっていないときのことも、指揮者をしていたときのことも、仕事を失ったときのことも、独立したときのことも、知っているわけです。最近、私が、以下の自分の意見を述べたときのことです(ブログ記事になっています。それは最後にリンクをはります)。彼は、一生に一回しかない人生を、せいいっぱい生きるべきであるという私の論に賛意を示してくれて、「それは持ち物やお金に過度に執着しないことで達成される」と書いていました。
「好き」と「執着」の区別はなかなか難しいものだと思います。旧約聖書の十戒の最初(出エジプト記20章3節以下)に「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない」と書いてありますが、これは、「神以外のものを神として拝むな」、すなわち、執着しすぎへの警告であると、半年くらい前にようやく気づきました。偶像は英語でアイドルと言うので、偶像崇拝は「アイドル崇拝」であるわけです。これは、6月に病気がひどくなり、家族への迷惑を考慮して、ホテル暮らしをしていたとき、ホテルでテレビを見て気づいたことです。テレビで、アイドルが歌ったり踊ったりしていて、そのファンの様子が、あたかも宗教のように思えたのです。お金や名誉に執着するなど、執着で身を滅ぼす人はたくさんいるため、警告してあるわけでした。これは、少しのちに読んだエーリッヒ・フロム『悪について』でも裏付けられました。仏教では、あらゆる執着を捨てよと教えられていますが、これも執着が身を滅ぼすからです。
確かに、私のストコフスキーへの「愛」も、いつのまにか執着みたいになっていたと気づかされます。(私にとってのキリスト教もだいぶ執着だったかもしれません。)おかげさまで、だんだんストコフスキーを「人間として」見ることができるようになってきた昨今です。ストコフスキーも、すぐれた指揮者、編曲家でしたが、あくまで欠けや限界を持つ人間でした。そして、私は自分自身を大切に扱うことを少しずつ知り、まさに、一生に一回しかない人生をせいいっぱい楽しもうという気持ちになっているのでした。50歳近くて遅すぎですが、遅いと言ってもいられません。残りの人生をせいいっぱい生きるべきなのです。
それで、先ほどの友人の話に戻りますが、あくまで彼もマニアなのです。最近、この近くの住宅地をながめるにつけ、見たことのない彼の家を想像します。彼も、おそらくは定年退職して長い紳士であり、このようなある家の一軒に住んでいるのでしょう。そして、この近くの家でも、その家の主人である紳士とよく知り合ってみると、そのご主人がある道のマニアであり、その家の一室に、マニア部屋がある・・というような人はいそうな気がするわけです。それで、彼は、持ち物やお金に執着しすぎないことによって、人生を楽しむことができると言ってくれたのです。彼もたくさんのコレクションがあるはずなのに!つまり、ある一点においてマニアである彼は、自分の執着心をその一点に集中することによって、他の人生のほとんどの面で正常を保っているのかもしれないのです。趣味をもつ人はそうして生きているのかもしれません。
私の学生時代に、オタクという言葉が流行りました。東大オタク学講座というものが流行った時期もありました。私はその講義を聴いていませんが、どういう講義だったのでしょう。いまは、推し活というのかもしれません。適度な執着はいいのだと思うのです。「執着しない」という教義に執着したら意味がないので、「執着しない」という教え(古くは聖書にもあり、仏教にもあるわけですが)は、おおざっぱに聞くのがいいのだと思います。だれしもほめられたいですし、モテたいですし、お金は欲しいわけです。それが身を滅ぼすレヴェルには警戒したほうがいいでしょうが、そのために、かの紳士のように、ほどほどな趣味を持ち、その道でマニアックさを発揮することで、他の分野で常識的かつ健全な人間として生きることができたりするとも言えると思います。そのようなわけで、人間には執着する権利があると思う次第です。
(最初のほうに触れたブログ記事のリンクをはります。)

