仕事について、学者という仕事について、数学者という仕事について

(このブログ記事は、当教室で、あるお子さんの将来の仕事について、その親御さんにお送りしたメールから再構成したものです。「仕事」というもの全般について、また、私に向いていた仕事であったと思われる「学者という仕事」とくに「数学者という仕事」について、述べたものです。)
まず、「仕事」についてです。仕事とは「人様のお役に立って、喜んでもらい、自分も一緒に喜べること」だと思いますが、以下のように考えます。
もともと、人間には、理性と言われる、いわば神様から与えられた知恵があります。人間の頭に最初から入っているものです。それは「生きることが楽しい」というようなものです。生まれたくて生まれた人間はいないと思います。死にたくて死ぬ人間もいないと思います。(自殺をなさる方も、死にたかったのではなく、生きたかったのです。)いわば、「気が付いたら生まれちゃっていた」人生において、いかに楽しむか、というのが、もともと人間に与えられた知恵である、理性だと思うのです。
孔子の活動した時代(「論語」の書かれた時代、とは少し違うみたいですが、ここではあまり深入りしません)は、紀元前の何世紀かで、都市化が始まっていた時代だと聞きます。その時代特有の悩みが、人間が理性を失いかけることだと思うのです。論語の冒頭は「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや」であり、「学ぶ」という言葉は、論語では少なくとも「生きる」と同じ意味のようなので、この論語の冒頭の言葉は「生きることが楽しい」と主張していることになります。つまり、論語とは、生きることが楽しいという、当たり前のはずのことが、当たり前でなくなっていた時代の書物なのです。孔子と同時代と思われる思想家・宗教家で、ブッダ、ソクラテス、イザヤなどがいるようです(この指摘は学生時代に本で読みました)。世界全体で都市化が起きていたのでしょうか。イエスはこの何世紀かあとの人物です。確かにその目で新約聖書を見てみますと、旧約聖書という「(都市化の時代を)生きるうえでのアドバイス」が成立したうえで、それが国を挙げての「束縛」となっている時代の人がイエスであり、その時代の産物が、新約聖書であると言えると思いますので、われわれがここで話題にしたいのは、孔子です。
というのは、どうも、生きるうえでのいろいろを考えるにつけ、それほど人間の数が多くなければ、みんな人に頼って、助け合って生きることは当然で、みんな生きるのが楽しくて生きているのだろう、と想像されるからです。われわれは実際に、身近な人に頼って生きています。これは、電話や電車のない時代のほうが、より具体的に「隣人」に頼っていたのでした。具体的に隣の人です。現代でも、食べ物はここまで運んでくださる方のおかげで食べられますし、スーパーに買いに行くにも、スーパーまで運んでくださる人、実際に海で魚を捕って来られる人、作物を育てて出荷している人のお世話になっています。当たり前かもしれませんが、Zoomで食事は運べません。しかしこの当たり前のことが錯覚されるくらいに、現代は複雑で、かなり都市化が進んでいるということです。逆にいうと、都市化が進んでいなかった時代の人は、当たり前のように、隣人に頼り、生きるのは当然のように楽しいと思って生きていたのではないか、それが見失われる時代というのが、孔子の時代であり、ブッダの時代だったのではないか、と私はいま、感じているのです。
(Zoomといえば、星くず算数・数学教室で、どうしても伝わらない単元が、小学3年生の「重さ」でした。オンラインでは決して重さは伝わらないと痛感したことがあります。同じように、体積も、長さも、伝わりません。「直角」とはなにか、というのも、画面ごしでは伝わらないものでした。)
人間は生きるのが楽しいと思っています。それは、人間に埋め込まれた理性はそう言っているはずです。それで、人間はひとりでは生きられませんので、助けてもらいながら生きることになります。それは具体的には「身近な人」なので、身近な人を大切に生きよう、自分自身を大切にするように、身近な人を大切に生きよう、というアドバイスが、「隣人愛」という教えの本質でした。(これは旧約聖書に書いてある教えで、これが先述の通り国を挙げての束縛となっていた時代の人がイエスであるわけで、やはりイエスは都市化が始まってから何世紀かした時代の人なのです。)理性には共感性がセットされています。お互い、人間はかなり違っていますが、たとえば、親切にされると笑顔になったりすることは、万国共通であると思います(万国共通であるのみならず、どの時代でも共通)。それで、他者の役に立って、その人に喜んでもらい、自分も一緒に喜べることが、仕事といわれるものである、と思うようになった次第です。ここで、具体的な仕事の例を挙げます。ここ数か月で私が嫌というほど頼った皆さんのお仕事である「お医者さん」です。
6月頭くらいのことですが、私は名古屋の整形外科に頼りました。名古屋時代に椎間板ヘルニアを治してくださったお医者さんです。まだお若い男性の先生です。かかってみて気づいたのは、そのお医者さんは、「健全なお医者さん」だということでした。健全なお医者さんは、先述のように、理性が正常で、つまり、まず自身が、生きるのが楽しいと思っておいでです。(それは当たり前すぎて、どなたも言葉にしませんが。)それで、共感性により、みんなもそうであろう(みんなも生きるのが楽しいに違いない)、と思っておられます。それで、病院へ集う皆さんは、なんらかの障害があり、人生が短くなっていたり、どこかの調子が悪くて、思うように人生が楽しめない。それで、もっと生きていたい、もうちょっと人生を楽しみたい、という思いから、病院へ来るのであろう。そこで、病気がよくなることができれば、患者は喜び、それが医者の仕事であって医者も喜べるわけです。こうしてやりがいのある仕事をしておられるお医者さんでした。医者も一個の人間で、患者も一個の人間で、そこで共感性を発揮するのを「診察」あるいは「治療」と言っておられるのが健全なお医者さんでした。このような次第で、他のスタッフの皆さん、受付の人から、医療機器を調整する人、病院の掃除の人まで、一丸となって、患者の病気がよくなること、それで患者が喜んで、ともに喜べること、を目標に経営しているのが病院というものであろうと思うわけです。この意味で、あらゆる仕事は、だれかのお役に立つことであり、それによってその人を喜ばせ、それで共感性によって自分も喜べることを、仕事というのです。(都市化の進んだ社会ではこれはしばしば見えにくくなっていますが、基本的にはこの構造です。)
ある意味で当たり前な、「説教おじさん」の説教となってしまっていますが、逆に言えば、私も長いこと、こういう説教おじさんの説教をつまらないものかのようにとらえてきたので、いまごろ気づいたからこういうことを書いています。それで、つぎに、私の仕事であった数学者、あるいは広く学者という仕事について述べようと思います。
子供は、ずっと赤字です。金額のことを言うと「赤字」という表現になりますが、とくに人の役に立たずに、消費の専門であるという意味で、子供たちは消費の専門であり、赤字だと思います(これは吉野源三郎「君たちはどう生きるか」にも書いてあることです。この本は非常によく書けた本ですね)。義務教育は中学までで、そこからは働いてもいいですし、もっと先の学校に行って学んでもいいわけですが、働く人になったら、黒字の人生とも言いますし、具体的に人様のお役に立っている人生なのでしょう。年を取ったらまた消費の専門になるのかもしれません(足腰が弱ってくるので、だんだん働けなくなる)。障害を持っていると、年寄りでなくとも消費の専門であったりします。誰かに働いてもらうという生き方になるのです。それで、私は数学者にはなれていないものの、いま振り返って最も向いていた仕事は明らかに狭義の数学者ですし、その意味で、私は消費の専門として、高校、大学、大学院、と進むべき人間であったと振り返るわけです。レオ・レオニの「フレデリック」という絵本はご存じでしょうか。ご存じであると仮定して進めてしまいますが、冬に備えて支度をするねずみが、みんなで穀物を集めて運んでいるあいだ、フレデリックだけ働いていませんでした。日の光を集めたりしていたようです。冬を仲間で過ごし、食べ物がなくなって来たとき、フレデリックは、集めていた日の光などの話をします。どうも、記憶だけで書こうとすると情けない引用になってしまいますが、これは、レオ・レオニさん自身のことかもしれません。ご自身が、絵本をかくという、具体的に食べ物を集めるわけではない仕事に従事しておられるからです(レオ・レオニさんは文学者でしょう。フレデリックは文学者です)。これは、知的財産とでもいうのか、たとえば、「論語」を書いた人は、紙と筆記用具だけで書いたと思いますが、その文字の情報は、何千年も読まれる書物となったわけです。生きる知恵とも言います。これが学者の仕事です。
(もっともフレデリックという絵本がかかれた時代は、まだ穀物を集める仕事のほうが勤勉な仕事で、フレデリックは怠け者に見える時代だったかもしれません。その時代からそんなに時間は経過していませんが、現代のほうが、「働かせている人」が「働いている人」よりもえらいかのような錯覚があるかもしれません。投資が流行るのはそんな時代のしるしかもしれません。投資とは、自分は働かず、帳簿の数字をいじるだけで、ぼろ儲けをすることです。実際には具体的に働いている人が尊いのに!)
それで、学者の仕事ですが、私は小学3年生のときに、家にあった「ファーブル昆虫記」にはまりました。ものすごくおもしろかったのです。いまファーブル昆虫記を図書館で借りて読み返しますと、ファーブルさんは、非常におもしろく書こうとしているのがわかります。ファーブルの時代は、論文を論文雑誌に投稿するという、現代の学者のスタイルがまだなかった時代だとかつて読んだことがあります。だから、ファーブルさんは、一般の本のように、おもしろおかしく書く必要があったのです。人気商売と言われる仕事があります。そういう人は、たくさんの「ファン」が必要です。(露骨に言うと「執着ファン」なのですが、以下「ファン」と書きます。)ファンの皆さんが、たくさんお金を払ってくれるおかげで、本も出せるわけです。さもなければ、現代の多くの(とくにタレント学者でないごく普通の)学者の皆さんが、たんたんと学術論文を書き、それを雑誌に投稿するような生活のスタイルとなります。学者にはクリエイティヴィティが要ります。ファーブルさんはおそらく昆虫研究の世界でカリスマ的な人ではないかと思います。論語を書いた人もそうですし、作曲家と言われる仕事もそうです。それで、数学者もそういったクリエイティヴィティの仕事ですが、それで、数学の場合、純粋な頭のよさの勝負であるせいだと思いますが、その論文を、証明まで含めて読める人は、どの数学者でも世界に数人だろうと思います。人気商売ではないわけです。「数学者」という仕事の存在そのものが、数学では食えない証拠と言えます。つまり、世界に数人の客(正確には同業者であって客でもない)では、自営業として成立しないから、アカデミアという世界を作り、国かどこかから給料を払うのです。つまり、星くず算数・数学教室みたいなのは、成立しない運命にあることにも徐々に気づかされた次第ですが、とにかく、学者というのは(とくに大学教授)、自営業のようなものでありながら、給料が出るという、かなり特殊な仕事なのです。(ときどき言われる、自由と名声と富という、普通は3つはそろわないものがそろう珍しい仕事が、一定水準以上の大学の大学教授である、という言い方が成り立つのも、アカデミアがこういったかなり特殊な世界だからだろうと思います。ただ、その虚栄心を満たすために、学者になろうとする人があとを絶たないほか、そもそも虚栄心を満たすための勉強だったら、しても意味がないことは、ここまでの議論から明らかであると思います。)
ここで、考えねばならないポイントは、「誰の役に立って喜んでもらえるか」という点です。得意なことを生かし、苦手なことを避ける、という大事なポイントはありますが、より根本的なポイントとして、人の役に立ち、喜んでもらって、それで自分も喜べることがあるのです。数学者でも、その世界に数人の理解者に、共感してもらい、また自分の理論を使ってもらってさらに学問を発展させることに喜びを見出しているのです。(おそらく。数学者になったことがないのでわかりませんが。)「どうだ!こんなにすごい定理を見つけたぞ!」と威張るために学問をするのでは、学生時代の、成績がよいとほめられた時代からなにも進歩がありません。(それだけの学者ならそもそも学者になるべきではない。)これは「どうだ!医学部に受かったぞ!医者になったぞ!どうだ!」というためだけに医者になる人と同様であり、それは他者に迷惑をかけるのみならず、ご本人も生きがいがないわけです。私はこの数か月でも、そういうむなしい仕事をする人、それは医者のみならず、お巡りさんでも、お店の人でも、図書館員でも、救急隊員でも見ました。一回しかない人生の使い道として、それはあまりにもったいないわけです。そのような視点から、ご一緒に、お子さんの未来について、考えて参りたいわけです。この何か月かで、「敬老」の意味が分かった日もあります。足腰が衰え、ハード面で頼れなくなったお年寄りで、理性や知恵が深まっていて、ソフト面で頼れる人がいるから、お年寄りは大切にしたほうがいいよというアドバイスであったのです。ごめんなさい。私もお役に立ちたいです。これは、私の理性が働いているのだと自分では思います。まだがんばりたいのです。死ぬまでは生きたいと願っています。
本日はありがとうございました。またどうぞよろしくお願いいたします。
