ラフマニノフの自作自演はなぜあんなにテンポが速いか

クラシック音楽のマニアックな話となりますが、なるべく多くの人に分かるように書きたいと思います。

ラフマニノフの自作自演は、なぜあんなにテンポが速いのか、ということについて、1年とちょっと前に気づいたことを書きたいと思います。

ラフマニノフは、自作を演奏する録音が残った時代の、クラシック音楽界では比較的新しい作曲家です。とくに、有名な「ピアノ協奏曲第2番」の、第3楽章のクライマックスで盛り上がる部分のテンポが非常に速いです。これはなぜか。これを考える上で、以下の2つの別の例が参考になります。リヒャルト・シュトラウスと、外山雄三さんです。

リヒャルト・シュトラウスは、自作の交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を指揮する映像が残っています。1944年の映像だそうで、シュトラウスは80歳くらいです。指揮している顔がアップで映っています。非常につまらなそうな顔で、やる気なく指揮しています。この意味は、少し考えると分かります。その前に、外山雄三さんの例を見たいと思います。

外山雄三さんも、作曲家であり指揮者でした。私は学生時代、2000年1月29日に、サントリーホールで、外山さん指揮の東京都交響楽団で、自作だけから構成されたコンサートを聴きました。P席(指揮者の顔がよく見える席)で聴きました。たまたま会場で友人に会い、一緒に聴きました。最初の曲は、交響曲第1番「帰国」という、外山さんが若いころ(1965-66、78と書いてあるので外山さんが三十代半ばの。四十代で改訂?)の曲で、クライマックスは若々しく盛り上がり、私はそのとき初めて聴く曲でしたが非常に感動しました。外山さんは険しい表情で指揮される方でしたが、この日も非常に険しい表情で指揮をされ、最後の和音を短く切りました。隣で聴いていた友人は「恥ずかしかったのかな?」と言っていました。そのとき外山さんは69歳くらいだったことになります。あまりにも若々しくかっこいい曲だったので、見ているとそういう(恥ずかしいのではないかという)感想にもなったのです。本当に外山さんが恥ずかしかったのかどうかはわかりません(堂々と指揮をされているようにも見えました)。ここで、話をリヒャルト・シュトラウスに戻します。

リヒャルト・シュトラウスは、八十代になっても、オーボエ協奏曲や、「4つの最後の歌」など、名曲を書きましたが、この「ティル・オイレンシュピーゲル」は、31歳くらいの作品です(1895年作曲)。作曲当時、録音や録画の技術はほとんどなかったでしょう。つまり、シュトラウスは、作曲から半世紀近くがたつ、「若いころのヒット曲」を収録させられているのです!シュトラウスのそのあからさまなやる気のない指揮ぶりは「恥ずかしくてしようがない」という気分を表しているのだろうと想像できるわけです。

ここで、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に話を戻します。この曲の自作自演のレコードは、1924年と27年に録音されています(いずれもストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団との共演で、1925年くらいに電気録音の技術が開発された関係で1927年にも録音したのでしょう)。この曲が作曲されたのはラフマニノフが二十代のころ(1900-1901年)で、録音されたのは五十代のころです。これも、若いころのヒット曲を、作曲してからかなりの年月の経過するラフマニノフが、レコード会社によって、収録させられているところなのであろうと想像するわけです(やはり作曲時に録音技術はほとんどなかった。とくにオケを含む録音)。この曲の非常に盛り上がるクライマックスを「これでもか」と盛り上げるような演奏はとても恥ずかしくてできなくなったころのラフマニノフの演奏を収録したものなのではないかということです。

(だから若いころのラフマニノフのこの曲の演奏はもっと感情的だった気もするのですが、今はもう分からないですね。)

(さらに付け足しますと、ベートーヴェンの自作の交響曲に書いてあるメトロノームの指示するテンポが速めなのも似た理由かもしれないと思ったりします。ベートーヴェンがメトロノームの指示を自作に書き込んだのは、作曲からだいぶたってからだと聞くからです。)

最後に、ラフマニノフはすぐれた指揮者でもあったそうですが、ラフマニノフ自身の指揮による交響曲第3番の録音はあるのに、なぜ交響曲第2番の録音がないか、という問いに対する短い考察でこのブログ記事を終わりたいと思います。

これも、交響曲第2番(とても人気ある作品)の作曲の時である1906-1907年のころは、録音という技術がほとんどなかったことと関連します。レコード制作には非常にお金がかかります。ラフマニノフ演奏のビクター録音をすべて集めた10枚組のCDで、ラフマニノフが指揮者として登場するのは1枚だけで(いずれも自作。「死の島」、ヴォカリーズ、交響曲第3番。オケはいずれもフィラデルフィア管弦楽団)、あとはピアニストとしての録音です。つまり当時のお客さんはもっぱらラフマニノフが指揮者としてよりもピアニストとして登場することを好んだらしいことが分かります。売れないものを作ることはできません。そして、交響曲第3番は「先生の新作!なんと久しぶりの交響曲だそうです!」という話題性で売ることができると判断されたのでしょうが(1936年作曲)、交響曲第2番は、その時点で非常に古い「紙の束」(楽譜。とても長い曲です)ということで、そういうことであればとくにレコーディングされる機会はなかったものと思われるわけです。

本日の記事は以上です。きっとラフマニノフも若いころの曲は恥ずかしかったのだろうなあと想像する次第です。

(以下は、その外山雄三さんの2000年のコンサートのライブ録音のCDのジャケットです。フォンテックさんから使用許可を得ました。交響曲「帰国」のほか、チェロ協奏曲(堀了介)、新川和江の詩による歌曲集(竹田弥加)、交響曲第2番が収録されています。記憶だと歌曲集はあと1曲が演奏され、曲名も違ったのですが、私はプログラムを紛失していますし、フォンテックさんももうわからないそうです。先ほど述べた交響曲「帰国」は、本当にすばらしい曲だと思います。)

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