東大理学部数学科卒、東京大学大学院数理科学研究科数理科学専攻博士課程単位取得退学の星くず算数・数学教室の先生のIQっていくつですか?のその後

一年半前に初めてかかったクリニックで、IQを測られました。全検査が92(いわゆるIQが92)、言語理解が100、知覚推理が122、ワーキングメモリが91、処理速度が54だったわけです。そのときの記事はこちら。

いままでこれは「しゃれ」だったわけですが、このたび大きな病気となり、IQが「医学的な数」だと改めて認識したわけです。血圧や体温や体重のようなもので、本人の言うこと以上に医者が信用する(しなければならない)数だと認識したわけです。これはしゃれでは済みません。(加えて、IQがその人の尊厳を表してしまう数であることにも気づきました。視力が悪いならばメガネをかければよいのですが、「頭が悪い」というのはそういうふうにいかないこと。)それで、改めてIQについて調べてみたわけです。正規分布について高校の教科書で勉強し(いまどきの小学生、中学生、高校生は、私の学生時代と違って、統計をばっちり学びます。パソコンやインターネットが発達したからというのは大きいですね)、知能指数の統計的な意味が分かりました。平均が100、標準偏差が15になるように(ウェクスラーさんががんばって?)作ってあるのですね。それで、以下のように言えます。

正規分布は、平均から標準偏差の3つぶん以内に、99.7パーセントが入ります。つまり、IQで言うと、145より高い値、また、55より低い値は、合わせて全体の0.3パーセントくらいで、めったにないとされるわけです。(偏差値の80より高い値、20より低い値も同様です。)それで、知能が正規分布とみなせるとして(そもそも人間の賢さが数で表されるとしてですが)、以下のように考えます。

東大の入学式は、武道館で行われていました。きのう検索したところによりますと、武道館の収容人数は、14,000人のようです。私が入学したときはベビーブームであり、現在と状況が違うでしょうが、武道館をうめつくす人間の、半分は保護者であったとして、東大の1年の入学者数を、おおざっぱに5,000人としましょう。それで、20歳から70歳まで、50世代がいるとして、日本にいる東大を出た人のおおよその人数を、5,000×50と考えます。すると、東大を出た人は、25万人となります。日本に25万人とし、日本の人口を1億人としますと、1億ぶんの25万、約分して、日本の400人に1人が、東大を出ていることになります。少な目に見積もりました。正規分布で、標準偏差の3倍をはみ出すのが、先述の通り、上と下に0.3パーセント。だいたい1,000人に1人か2人くらい、IQが145を超えるか、偏差値が80を超えるか、です。日本でも関西で優秀なかたは京大に行かれると思いますので(確かに東大の教養学部で、九州出身の仲間はたくさんいました。九州出身だとどうせ遠いならと東大に来られるのだと思います)、だいたいそのようなものだと思います。

それで、私自身についてです。たとえば、高校は県で一番とされる進学校ですが、その高校で「自由研究」というものがあり、私は、当時、4次元のこと等について考え、金賞をいただきました。その高校では、過去10年ぶんの金賞の受賞者の名前を見ることができましたが、理系の受賞者は私以外、いませんでした。私はその高校で、10年に一度の「逸材」だったことになります(自分で言ってすみません。ついでに言えば、県で10年に一度の逸材だったかも)。その高校から、当時、現役浪人合わせて、20人くらいが東大に行っていました。そう考えますと、私は少なくとも、東大生200人にひとりの逸材だったことになります。重ねて自分で言ってすみません。これは高校だけの話ではなく、大学院でも、修士論文は、出版する前に精神病の大ダウンで出版されていませんが、その未出版の論文は、ある大学の数学の先生によって、引用されています(私の結果が本質的に用いられている)。私は、学者になれていれば、それなりの優秀な人材だったと思われます。それで話は戻りますが、そうしますと、私は、400人にひとりの人材ではなく、400人にひとりのうちの、200人にひとりなので、8万人にひとりの人材だったことになるのです。少なく(多く?)見積もりましたが、そうなります。

それで、知能指数は、知能が正規分布に従うと考えて作ってあります。400人にひとりなら、0.3パーセント(上下合わせて)にちょうど入るくらいですが、8万人にひとりなら、正規分布で近似できないだろうと思います(標準偏差3つぶんをはるかに超えている。単純に計算して、標準偏差4.21倍、IQ163、偏差値92ですが、もちろん意味をなさない)。

それで、私の一年半前の検査結果を個別に見ます。ワーキングメモリは91と低く、処理速度は54で、標準偏差の3倍を下回っています(IQ55を下回っている)。これは、検査する前から分かっていたことであり、私のワーキングメモリは小さいです。私は同時に複数のことをするのが非常に苦手です。司書の時代、また総務の時代、デスクワークをしながら受付にお客様が来たらサッと対応することは圧倒的に苦手で、上司から厳しく叱られていました。教員として、黒板のほうを向いて説明しながら、寝ている生徒を起こすことも苦手でした。就労移行支援事業所に行ったついでに、帰りにコンビニでパンを買ってくることも苦手です。つまり、マルチタスクが苦手であり、これは、いっぺんに覚えていられる内容がとても少ないのです。先日も、認知症の検査を神経内科で受けましたが、「家、ねこ、電車」と言われ、これをしばらく覚えていてくださいと言われ、1分ほど別の検査をされて、さっきのを覚えていますかと言われ、覚えていませんでした。(しかし、いまその3つは思い出せるわけですけど。)処理速度の遅さは、総務であったとき、人が1時間で終わる仕事の内容が、8時間かけても終わらず(つまり、まる一日かけても終わらず)、非常に叱られたものです。司書の時代、ブックコートフィルムをはる仕事をしたときも、私がどうにかがんばって、新書1冊を仕上げるのに、25分かかっていたところを、上司から「3分でやれ!」と言われるという叱責、当時、スマホで録音したのですが消えてしまいました。とにかく、処理速度の遅さも圧倒的でした。

(ワーキングメモリの小ささについて思い出すのは、いまから5年前、2020年にある福祉に頼ったときのことです。検査は受ける前だったわけですが、私がワーキングメモリの小ささを訴えると、その女性の相談員は「こんなに学歴の高い人が、そんなにワーキングメモリが小さいですかねえ」とあきれたように言ったものです。いま考えると、その相談員が言いたかったことは「そんなにワーキングメモリの小さい人が、こんなに学歴が高いですかねえ」ということで、要するに私は学歴を詐称していると思われたのです。)

(ぐちのついでに。近所に星くず算数・数学教室のチラシを配っていても、私はおそらく学歴詐称に見えるので、近所にチラシを配るのをやめたという経緯があります。あるときあるおじいさんに「これは相当、立派な学歴ですよ!」と何度も言われたことがあります。「お前、もうちょっとましなうそをつけよ」という意味だったのでしょう。病気でチラシ配りをやめたという面は大きいですが、確かに私だって、近所に平日の日中から「ハーバード大卒」と書いたチラシを配る塾講師がいたら、まあうそだと思うでしょうからね。)

というわけで、私はワーキングメモリの小ささ、および処理速度の遅さで、サラリーマン時代、非常な苦痛を味わっていたということで、それは検査の前から言語化していたわけです。それで、とくにワーキングメモリの小ささについては、知能の低さと思われるところがあると思いますが(先述の福祉の相談員しかり)、それこそ、8万人にひとりの少なさで、検査で出ない特殊な例なのでしょう。私自身の実感ですが、いっぺんにいくつも同時に考えることが苦手なだけで、内容を「縦に並べる」と、だいぶ整理して話すことができたりします。

(検査のみならず、多くの人の想像を絶し、感覚を裏切るもののようです。私のサラリーマン時代の仕事のできなさぶりは、当時の上司から、しばしば本気で仕事をしていないと思われていたことに今さら気づきます。また、この教室をよく知る人でもときどき、私が「受験指導をしない」という看板を出しているのは私の「ポリシー」だと認識なさっていたりします。私は、ポリシーで受験指導をしないのではなく、文字通り「できない」のですが、「まさかこんなに学歴の高い人が受験指導できないはずはなかろう」と思われているということです。)

知能検査のもともとの意味に戻りますと、日常の生活に支障が出ることにあります。確かに私は日常の生活に支障が生じています。IQとは、「サラリーマンとしての適性」を表しているか、あるいは、「社会に出ての困り具合」を意味するのだと思います。その意味で、私の「IQ92」は、意味のある数なのでしょう。このたび、高校の数学の検定教科書で正規分布を学び、知能指数の意味を考えたレポートをここで終わります。意義のある学びでした。

(それにしても、これは誰に話せばよいのか。精神科医に言っても、おそらく統合失調症の患者の「誇大妄想」にしか聞こえないことは明らかである。しようがないので自分のホームページのブログに載せています。)

最後に、私が検査を受けることになる1年前(つまり今から2年ちょっと前)、ダニエル・タメットさんの本を読んで、IQというものを知ったころの講演の原稿をはります。(人間の賢さを数で表せると仮定するのがそもそもおかしい。)

目次