「傾向」という概念から「普通」という概念へ、そして「障害」「障害者」という概念へ(2)

前回からの続きです。傾向という概念が偏見と紙一重であることを見ました。ここから、「普通」という概念が導出されることを見ます。(第1回は最後にリンクをはりますね。)

あるベテランの人が、オットー・クレンペラーという往年の大指揮者の指揮するハイドンの交響曲第100番ト長調「軍隊」のレコードを持っていました。クレンペラーの指揮する「軍隊」の第2楽章は、標準的な演奏に比べて、著しくテンポが遅いのでした。しかし、そのベテランの人は、あくまで軍隊というとクレンペラーのレコードしか聴いたことがないため、クレンペラー以外の「軍隊」を聴くと「ずいぶん速いなあ」と言うのが常でした。これも、傾向という概念から説明ができます。全体の傾向として、クレンペラーのテンポよりもずっと速いのが主流であったわけです。「ハイドンの軍隊の第2楽章は、これくらいのテンポで演奏することが多い」という傾向があったわけです。しかし、その人は、クレンペラーのテンポしか知らなかったため、クレンペラー以外のテンポがみんな速く聴こえたのでした。

弁護士の伊藤真さんの講演を聴いたことがあります。伊藤さんは「私は『普通』という言葉が嫌いです」とおっしゃっていました。伊藤さんは、弁護士になり、司法試験の塾の講師ばかりしていて、若いころ、仲間の弁護士から「お前、もうちょっと普通の弁護士になれよ」と言われて「普通ってなんだ!?」と思われたそうです。普通とは多数派のことですね。多くの弁護士は、司法試験に受かって弁護士になったあと、塾講師ばかりしたりしない、という傾向にあったのです。伊藤さんのおっしゃりたいことはよくわかりますが、確かに傾向というものはあります。(伊藤先生はすばらしい講師でした。2回、講演を聴いたことがありますが、いずれも深い感銘を受けました。)

「常識」と言われる概念があります。私は「多くの人が暗黙のうちに共通して了解しているもの」と位置付けています。そう考えるのが「普通」だろう(そう考える人が多数派だろう)という概念です。確かに、「傾向」という概念を認めることによって「普通」というものの正体がわかって参ります。

「東大を出ていたら、普通、これくらいの年収はもらえるものだろう」という言いかたがあります。それはあり得る言いかたです。もちろん、これは傾向ですから、傾向から外れた例はあります。たとえば私は東大と東大の院を出ていますが、多くの東大卒よりずっと少ない収入でしょう。逆に、いわゆる学歴が低くて高い収入を得ておられるかたもおいでになります。それでも、傾向というものはあるのです。高い学歴の人ほど年収が高い傾向にある。でなければ、こんなに受験勉強が流行る理由が説明できないだろうと思います。(学歴を単純に偏差値で数値化し、年収はもともと数であることからしますと、なんらかの相関係数が計算できてしまうことになります。)

東大に行く人はお金持ちの子供である傾向もよく指摘されます。もちろん、貧乏だったら東大に行けない、ということはありません。ただし、やはり、私が見て来たなかでも、東京等の有名な私学に通っていて、受験テクニックを手取り足取り教わって来た人が東大に受かりやすい傾向はあったと思います。こういうのも「傾向」であり、そこから「普通」という概念が出て来ます。

(ただ、相関関係と因果関係を混同してはいけないこともちゃんと高校の数学の教科書には書いてあります。皆さんがときどき「疑似相関」と呼んでおられるものは、実は相関関係です。因果関係がないだけです。)

(それにしても、第1回のテーマでもありましたが、この「傾向」という概念は、ほんとうに「偏見」と紙一重ですね。今回の記事を書きながらも思いました。難しいですね、こういう記事を書くのは・・・)

この「傾向」という概念、そしてそこから導き出される「普通」という概念を抜きに「障害」とか「障害者」とかの概念の正確な理解には至らないと私は感じていますので、つぎはその話をいたしますね。

1週間後に投稿される第3回の連載に続きます。次回が最終回です。次回もどうぞお楽しみに!またお読みくださいね!

前回の第1回はこちらです。

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