お金はないけど私はいま幸せです

2013年か2014年ごろ、勤めていていまよりお金のあった私は、あるとき大阪に遊びに行き、帰りの新大阪の駅の売店で、「東大教授」という新書を買いました。存じ上げないかたですが、沖大幹(おき・たいかん)さんという、土木がご専門らしい東大の教授の先生が書かれた本でした。そのなかに、とても印象的な言葉があったのです。
自由と富と名声は、普通は3つ、そろわないそうです。自由と名声がある人は富がなかったり、名声と富がある人は自由がなかったり。しかし、この自由と富と名声の3つが奇跡的にそろう数少ない仕事があり、そのひとつが東大教授だ、というものでした。
それから10年くらいがたち、自分が自営業になって、ようやくわかることがあります。
クリエイティヴな仕事ほど、労働時間と賃金(収入)が比例しません。労働時間と賃金が比例するのがサラリーマンです。作曲家の故・すぎやまこういちさんは、代表作である「ドラクエ」の音楽を、ゲーム会社から提示されたプランを見た瞬間に数秒でひらめいたと聞きます。すぎやまさんに倍の時間を与えたとして、倍のクリエイティヴィティは発揮なさらないでしょう。数学も芸術性の高いものですので、時間とクリエイティヴィティが比例しません。学問は全般にそうでしょう。つまり、学者(研究者)という仕事は、基本的に賃金という概念がなじまず、自営業的なものなのです。
ところが、大学の先生はサラリーマンです。いわば、大学の研究者(大学の先生)というものは「給料の出る自営業」みたいなものだったのです!基本的に芸術性の高い仕事をしていて、それなのに文科省が価値を認めて給料が出る。「サラリーマンなのに自営業」と言ってもいいかもしれません。それゆえに、東大をはじめとする、一定水準以上の大学の先生は、本来、3つともそろうことはない「自由」と「富」と「名声」がそろってしまうのだったのです。
私は、どちらかといえば東大教授になっていたほうが順当な人生だったと思います。しかし、それで思うのですが、「自由」と「名声」と「富」を手に入れていても「幸せ」が手に入っていなかったら?
これは、かなり意味がないといえるでしょう。自由も、名声も、富も、幸せになるためにあったほうがいい要素です。自由と名声と富があっても、幸せでなかったら意味がありません。
私は、長いこと、中高の教員また事務員として、無駄にサラリーマンをしてしまいました。徹底的に向いていない仕事でした。自分で言ってはアレですが、私はクリエイティヴィティ型の人間であったようで、(メンタル面ではともかく、働き方としては)圧倒的に自営業が向いていたのです。いま、私はかつてない幸せに満ちています。生徒の皆さんにお喜びいただきながら、感謝をもって星くず算数・数学教室の講師をしています。
私は一介の塾講師に過ぎず、大学教授のような名声はありません。そして、勤めていたころに比べたらはるかに少ない稼ぎです。でも、いま私は、かつてなかった幸せを感じています。もう、勤めていたころの苦しみとは無縁です。
お金はないけど私はいま幸せです。
