私の東大受験

この記事は、私の受験について書くつもりです。「合格体験記」のようなものを書いたことがない私は、いまこのブログで書こうとしています。高校受験から大学院受験まで書こうとしていますので、長くなる可能性が高いですが、よろしければどうぞお付き合いくださいね。
最初の受験は高校受験です。中学から急に成績のよくなった私は、高校は県で一番の進学校を受けました。覚えているのは、数学の試験の最中に、気分が悪くなり、保健室受験をしたことです。試験中に気分が悪くなり、その高校の長い廊下を試験監督の先生と歩いて、保健室まで行ったことを思い出します。いま考えれば、メンタルの弱さの面は大きいのでした。数学の試験ののち、同じ中学から受験した仲間と一緒に弁当を食べた記憶があります。受かりましたが。
つぎに大学受験です。センター試験は大きな思い出がありません。数学や物理で落とす可能性がほぼなかったこともあり、試験前はほとんど日本史ばかりやっていたと思います。当日は、試験前に、大きな試験会場にたくさんのカメラが入ってきて写真をバシャバシャと撮られました。マスコミ用に開放された教室だったということですね。
二次試験は、慶応理工学部と東大理科一類を受けました。慶応を受けた理由は単に日程的なものであったと思います。東大が本命であり、慶応の過去問は、当日の2日くらい前にはじめて見ました。「東大とずいぶん傾向が違うのだなあ」とは思いましたが、内容そのものに違いはないため、気にせず受けました。前泊をしましたが、前の晩に「こんな物理の問題が出たら解けないな」と思った問題がありました。そしてそれはなんと出たのです!案の定、解けませんでしたが。(いずれそんな問題も紹介できたら、と思います。)
当日は、これも数学の試験の最中に、トイレに行きました。メンタル的なものでしょう。そのときはもう落ちたと思っており、午後の英語の試験では、居眠りをする始末でした。しかし、受かってしまいました。「そんなんでよく受かったなあ」というところではないかと思います。
東大は、2日連続でした。同じ宿に二泊しました。前の日から行き、下見をしました。本郷で試験を受けました。われわれはベビーブームと言われる世代であり、そのころは少子化という言葉などはないのでした。ニコレのフルート、ジンマン指揮コンセルトヘボウ管弦楽団によるモーツァルトのフルート協奏曲のカセットテープを持って行って泊まりました。
初日は国語と数学でした。数学は、6問が出ました。私は、過去問を家で解く限りにおいては、少なくとも3問は完答(完全な答え)をしていました。多い年は、5問、完答していました。ところが、当日だけ、1問も完答できなかったのでした。0問完答です。私は絶望しました。もう落ちたと思いました。しかし、宿に帰ってみると、柔道の山下さんが、けがにもかかわらずオリンピックで金メダルを獲得した話をやっており、もう1日、がんばる気になったのでした。
2日目は、理科と英語でした。私は物理と化学の選択でした。物理の問題はとてもやさしく、みんなできたのではないかと思いました。化学はとても難しく、みんなできなかったのではないかと思いました。英語も手応えはありました。
結果として受かりました。いま考えてみますと、東大の先生は、ちゃんと見てくれていたのだと思います。数学は計算用紙も集めていたと思います。とにかく私は受かりました。柔道の山下さんおよびその番組をやっていたテレビ局には感謝です。
つぎに、大学院入試(院試)です。東工大も受けたかったのですが、気が付いたときには願書が締め切られており、私は東大数理1本となってしまいました。精神的には追い詰められていました。8月の一週間をかけて東大数理の院試はありましたが、前日の日曜に私は当時モグリで行っていた教会のティーアワーについにデビューしたのでした。
月曜から試験であり、筆記試験が2日間、ありました。英語が少しあり、あとは数学です。初日が教養の数学で、2日目が専門の数学です。そのときに出た問題でも、印象的なものはあります。いつかそういったものもご紹介できたら、と思います。
専門の試験は選択2問でしたが、冊子を開いてみますと、たくさんの問いが載っていましたが、幾何の問いはちょうど2問だけであり、幾何であった私はそれを受けるしかないのでした。多くは応用数理の問題でした。(応用数理の先生は大変ですね。毎年のように院試の問題を作らねばならないわけです。)
筆記試験は受かりました。
続いて、面接試験です。スーツで行ってしまいましたが、そんな必要はないのでした。ひとり40分から50分の時間を使っての面接試験でした。私が受けたときは、幾何の部屋はひとつであり、そこに幾何の先生(教授、助教授の先生)がすべて集まっておられました。その前で面接試験を受けたのです。まずは、筆記試験で私がきちんと出来なかった問いへのツッコミでした。「群の作用で同一視する」ことがわかっていなかった私は、私がわかっていないことに気が付かれたある先生の「それは群の元すべてで同一視するのだよ」という言葉に「あ、そうですか!」と答え、先生がたの笑いを誘っていましたが、それ以降は、きちんと答えられました(その位相空間が多様体にならない説明)。
それから、なぜか3次元のトーラスの整係数ホモロジー群の計算をさせられました。(いま考えると全員にこれを聞いていたのかもしれません。)私はマイヤー・ビートリス完全系列を黒板に書いてうなっていました。ある先生の「それで出ると思っているのか」という問いに「いいえ、この写像の様子を見ないと出ません」と答え、直観的にどうなるかを答えることができました。
終わりに、司会をしていたある先生から「ところでドラームの定理を知っていますか」と聞かれ、とっさに「知りません」と答えてしまいました。これは、最もよい答えはもちろん「知っています。これこれこうです」と答えられることですが、知らなかった場合の最もよい答えは「知りませんでした。いまから帰ったら調べます」だったのです。しかも私はドラームの定理は知っていたのでした。(ドラームの定理という言いかたを知らなかっただけで、ドラーム複体やドラーム・コホモロジーはきちんと知っていました。)
それでも受かったのです。「そんなんでよく受かったなあ」。あとからある先生に「きみは勉強不足だと思うけどね」と言われたりしたものです。
その2年後の、博士課程の入試は、ほとんど修士論文の発表会でした。まず、修士論文の発表会としては、予行のようなものであった、ある助手の先生が司会をされた会を思い出します。そのとき、トポロジーで修士論文を書いたのは私も含めて4人でしたが、私の発表を聞いて、私以外の3人が3人とも私の修士論文を欲しいと言いました。私は3人ぶんをコピーして配布台の上に置いたものです。
ある、トポロジスト以上にトポロジーに詳しいと言われる代数の先生に質問をいただいたときのことも思い出します。「それで、いろいろな複体が出てきたけれども」とご質問をいただきましたので、その説明をしようとしたら、その先生の質問は終わりました。どうやら私がきちんと説明できることだけ見たかったようでした。
それで、博士課程の入学試験です。1時間くらいの面接であったと思います。指導教官の先生は黙っておられました(しゃべってはいけないルールだったのでしょう)。私が、第2主定理は、最初、その群がトージョンフリーであることを知らずに証明した、と言いましたら「おお」という感じになり、ある先生が「そこからその群がトージョンフリーであることは言えますか」と聞かれましたので、思わず「できないと思います」と答えてしまいましたが、あとから考えるとおそらくできるのです。途中まで考えて「できそうだ」と思ったことがありました。しかし、「そんなんでよく受かったなあ」というところかと思います。とにかく博士課程へも入学をゆるされました。
あとは、博士課程1年のときにやった取り返しのつかないような大きな統合失調症と、その大きな影響にある博士課程での挫折、そして、あとは中高の教員になろうとしてあらゆる採用試験を落ちまくる日々が待っていますが、入学試験としましてはここまでになるわけです。改めて振り返りますと、見る人はちゃんと見てくれていることがわかりますね。高校も、大学も、大学院も、入れていただいて、貴重な経験をたくさんすることができたわけです。ありがたいことでありました。本日は以上です。お粗末さまでした。
