西日本と東日本の傾向、および傾向という概念が偏見と紙一重であることについて

高校1年生で習う「データの分析」という単元のなかの「2つの変量の間の関係」というものを学ぶさいに、私が思うことを少し書きますね。これは、「傾向」と言われるものの勉強であり、しばしば傾向というものは「偏見」と紙一重であること、そして、おそらく偏見というものをきちんと見極めることがこの「2つの変量の間の関係」という単元の真の目標であろうということです。そして、私の気づいた2つの例を挙げることができますが、うちひとつ、男女の傾向については、だいぶ前ではありますが、ブログのネタにしたことがあった気がしますので、もうひとつである、西日本と東日本の傾向について、少し書きたいと思います。

最初に、福祉です。大ざっぱに、西日本のほうが東日本よりも福祉が手厚いのです。これは福祉に頼ったことのある人間でないと知らないことが多く(実際、数年前の私でも知らなかったことです)、また、福祉に携わるかたのあいだでは共通認識ですが、なかなか知られていないことではあります。まず多くの人が「福祉が手厚い町」として挙げるのが大阪であり(「大阪市」なのか「大阪府」なのかはわかりません)、ついで北九州市をはじめとする福岡県などが挙がります。滋賀県も福祉が手厚いようです。これはあくまで傾向であり、西日本でも福祉の手薄い地域、また東日本でも福祉の手厚い地域はあるようです。しかし、大ざっぱに言って東日本よりも西日本が福祉の手厚い傾向にあることは多くの(福祉に関係する)人が認識していることではないかと思います。

つぎに、キリスト教神学です。大ざっぱに言って、西日本の神学校のほうが、東日本の神学校よりも、人間味のある聖職者を輩出する傾向にあります。福祉の手厚さはなんらかの数値化ができる気がするが、聖職者の人間味というのは数値化ができないのではないかと思われるかもしれませんが、これについては、教科書でいう「量的データに限らず、質的データをとる2つの変量の間の関係」について考察するページがあります。量的データとは数値化されるデータのことを言い、質的データとは数値として得られない類のデータのことを言います。ここはとりあえずお認めいただいて、先に進みましょう。

つぎの例は、お笑いです。西日本のお笑い、とくに私がテレビで見る上方の演芸では、ボケたらツッコむ、というのが基本であるように見えます。これはテレビが全国に広めた結果、あまり地方差がなくなった気もするのですが、私が学生時代の(これもテレビ番組なのですが)「笑点」というお笑いの番組で、亡くなった円楽さんの前の亡くなった円楽さんが司会をされていたとき、その前の前の円楽さんは、ものすごくおもしろい答えが出ているにも関わらず、まったくツッコまず、すぐにつぎの人を当てることが多くありました。これは、私には、東日本の典型的なお笑いのスタイルを表しているように見えていました。

このほか、方言というものがあります。私は18歳で上京しました。日本各地から仲間が東京に集まっていました。西日本の人は、しばしば自分の方言を東京でも使い続けます。大阪出身の人間は、東京に来ても大阪弁を使い続けました。博多弁もそういう傾向にあります。一方で、東日本の出身の人間は、私の出身地も含め、自分たちの方言を恥じているようなところがあり、東京で決して自分の地方の方言が出ないのでした。たとえば盛岡出身の東大の仲間もいましたが、彼は決して東京で盛岡弁を使っていませんでした。彼に限りません。これは顕著な傾向である気がします。

それから、東京にはカツカレーがありますが、大阪に行けばスパゲティの上に唐揚げやハンバーグの乗っている料理をレストランのメニューで見ることがあり、博多のラーメンはとんこつ味で濃いのでした。大ざっぱに言って「東日本より西日本のほうが『しつこい』のではないか」という感触を持ったのです。これは、西日本のご出身で、東日本にお住まいのある仲間から聞いた話から広がった私の持論です。

このように、傾向という概念は、偏見と紙一重です。というべきか、偏見というものと真摯に向き合うための勉強が、この「2つの変量の間の関係」というものではないかとも考えられるわけです。

あるとき、あるSNSで「学歴と年収にはなんの関係もないよね。どうしてそういう発想になっちゃうのだろうね」という発言を見たことがあります。確かに、私は世間一般ではかなり高い学歴を持っており、その割にはかなり低い年収です。しかし、傾向としては、高い学歴の人ほど高い収入を得ているというものが言えるのではないでしょうか。でなければ、これだけ受験勉強というものが流行る理由が説明できないだろうと思います。(たとえば「学歴」をあっさり「偏差値」で測ることにし、「収入」をあっさり「年収の金額」で測ることにすれば、両方とも数なので、相関係数が計算できてしまうことになります。)しかしながらこれも確かに、「東大卒のニート」のようなものがちまたであざけりの対象となったり、また一方で「低学歴高所得者」と言われるかたがたもまた逆の偏見にさらされているとも言えます。かように「傾向」という概念は「偏見」と紙一重なのですが、世の偏見というものをきちんと見定めるのがこの高校1年生の教科書で「2つの変量の間の関係」というものを学ぶ意義ではないかと思ったりします。

もう一歩、踏み込むと、「傾向」という概念から「普通」という概念が導き出され、「普通」という概念から「障害」という概念が導き出されると私は思っており、したがって、「障害」とか「障害者」という概念の正確な理解には「傾向」という概念のしっかりした把握が必要であるとも思っておりますが、なかなかそこまで論じた文章等にはお目にかからないのが現実です。私は高校までに習う統計学からそういった概念をきちんと理解する鍵が得られると認識しておりますが、その話はまたいずれかにいたしましょう。本日は、西日本と東日本の傾向を例にとった、傾向という概念は偏見と紙一重であるというお話でした。

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