学部3年のときのフルート発表会でベンダのヘ長調のソナタを演奏した

これはまた昔話です。学部3年生のときのフルート発表会の話です。当時のプログラム、および日記、および楽譜、および記憶から書きたいと思います。
私は、そのころ習っていたフランツ・ベンダのヘ長調のフルート・ソナタで、発表会に出ることになりました。ベンダというのはフリードリヒ大王というフルートを得意とする大王に仕えた作曲家のひとりで、そのためにフルートの作品がたくさんあります。フリードリヒ大王のために作られたフルートの作品は多く(有名なところでは、大バッハの「音楽の捧げもの」がそうです。あれにはフルートを含むトリオ・ソナタがあります)、かつて私のホルンの友人は、「フリードリヒ大王の楽器がホルンだったら、ホルンの名曲がたくさん生まれていたのかも」と言っていました。クヴァンツの作品、また、エマヌエル・バッハの協奏曲など、たくさんのフルート作品があります。そのうちのひとつなのです。ベンダは、弟も作曲家であるはずで、区別するため、F.ベンダと書くこともありますが、少なくともこの発表会のプログラムに先生は「ベンダ」とだけ書いています。以下、私も「ベンダ」と書きましょう。
私が先生に言わずに当時、ひそかに悩んでいたことがあります。いま考えるとそんなに真剣に考える必要のなかったことでしたが、1997年当時は、ピリオド楽器(古楽器)の全盛期でした。世界的に発売されるCD(当時はインターネットも携帯電話もあまりなく、音楽はもっぱらCDで聴いていました)は、のきなみ古楽器か、ピリオド奏法と言われるものばかりでした。アーノンクール等という指揮者がカリスマ的に君臨(?)しており、そのモダン・オーケストラを指揮したCDも、しばしばフルートは(フルートに限らず)ヴィブラートをしていなかったりするのでした。私の先生は、最後まで古楽器、ピリオド奏法にはあまり感心がありませんでした。そこで私の悩みは、このようなベンダの曲を演奏するにあたって、世界の流れであるピリオド奏法を取り入れねばならないのか?ということでした。ちょっと考えすぎのまじめくんですね。というわけで、このベンダをどう演奏するか、ということは自分のなかで悩みでした。
いま、当時の楽譜も手元にあります。INTERNATIONAL MUSIC COMPANY というところの出版のようです。「(MILAN MUNCLINGER)」と書かれています。このムンツリンゲルという人物は、ランパルの自伝(最後にリンクをはりますね。比較的最近、ランパルの自伝についてのブログ記事を書きましたので。このランパルの自伝はすごくおもしろいです。Amazonやメルカリではとてつもない値段がついていると思いますが、ムラマツ楽器には在庫があります)にも出てくる当時のフルート音楽の大家であり、そのムンツリンゲルが校訂した楽譜なのです。もともとフルートと通奏低音のための作品であり、ピアノ(チェンバロ)の楽譜の右手のパートを書いたのはムンツリンゲルです。私の先生はこのくらいの難易度のピアノ曲はレッスンで伴奏できるくらいのピアノの腕をお持ちでしたが、先生はムンツリンゲルにとらわれずに自由に弾いていました。しかし、多くのこのベンダのヘ長調のソナタを取り上げる人はじつはかなりムンツリンゲルによっています。私はこの曲が聴きたくて、確かこの発表会よりもあとですが、ある日本のフルートの演奏家のCDに入っているのを見つけてそのCDを購入しましたが、そのCDでも(チェンバロとチェロで通奏低音を演奏していましたが)ムンツリンゲルの右手パートによっていました。そののち、ランパル自身の演奏するCDも格安で買うことができたときがありましたが、ランパルがムンツリンゲル版なのは当然です。そのまたずっとのちに、ヤン・マハト(チェコフィルのおもにピッコロを担当しているフルート奏者)のCDを買ったときにも入っていましたが、これははっきり「ムンツリンゲル編」とうたってありました(フルートとハープによる演奏)。とにかくムンツリンゲル版で演奏されることが多いのです。私の当日の本番の伴奏はあるピアノの先生でしたが、ムンツリンゲルで伴奏なさったものです。
それから、ちょっとした思い出があります。この曲は3楽章からなりますが、第1楽章の冒頭は、以下のように始まります。いま、その四半世紀以上前の楽譜を見ながら、finaleで書いています。(したがってムンツリンゲルによっているわけですが、ダイナミクスは省略しています。しばしば先生はダイナミクスは書いてあるのに逆らってこの曲を教えておられ、この楽譜のあちこちにムンツリンゲルの書いた通りでない手書きのダイナミクスが書いてあります。)

そして、35小節目から以下のようになります。

これらは、このように並べてみると、当たり前のように同じ音型だと気づかれると思いますが、曲全体を通してはなかなか気づかないものでありまして、私はこれに気づいたのが、学部3年の夏学期のある数学科の授業の演習の時間(幾何でなかったと記憶しますのでおそらく多様体ではない)の終わりでありまして、部屋から出る瞬間にこのことに気づいたのを思い出します。先生にレッスンで伝えると、先生も気づいていなかったようで「ほんとうだね。通奏低音も同じだね」とおっしゃっていました。
さて、私の先生は、ある曲の楽章を取り出してレッスンすることはほとんどなく、また、繰り返しは必ずするのですが、このとき、発表会では繰り返しを省き、それで時間を測りました。だいたい私の出番で8分くらいでした。
当日の私は日記に「私としては概ね満足がいった(ただ客観的に見て、よかったとは言い難いと思う)」と書いています。この日の録音は残っていますが、たしかにまだ「うまい」とは言えない状況だと思います。私がほんとうに「うまく」なるのはこの1年後くらい、1998年のあるピアノ発表会でのゲスト演奏(練習中の録音が残り、本番より練習のほうがよい)ではかなりうまくなっており、なんといっても修士課程1年のとき(1999年)のゴーベールの夜想曲とアレグロ・スケルツァンドで、畢生の名演(!?)を成し遂げていますので、それと比べると、いまいちうまいとは言えない演奏だと思います。ノンヴィブラートにこだわってしまった?それでも、25歳の大病前ですから、うまく吹けているころの録音にはなりますが・・・。
この日のプログラムを見てみますと、全部で28人の出演者がおり、私は23番でした。26番と27番はのちにプロの演奏家となった人、28番のラストが先生の演奏です。いずれも印象的に覚えています。26番のかたは、ドビュッシーのシランクス、ベリオのセクエンツァⅠ、カルク=エーレルトの「無伴奏フルートのためのシャコンヌ op.107-30」(知らない曲だなあ。カルク=エーレルトはフルートの曲をたくさん書いたらしいオルガン界の作曲家ですが。熱情ソナタは有名ですね)、フォーレの幻想曲、バッハのソナタ ホ短調、モーツァルトの協奏曲ニ長調をやられています。そして、27番の、のちにプロとなったフルーティストとは、高木綾子さんです。私は高木綾子さんと同じ舞台に立ったことがあるのだ!(笑)日記によると楽屋でもいっしょです(私が会話についていけないタイプの学生さんであったと記憶します。当時の私が21歳くらい、高木さんはもっと若い)。高木さんは、コンクールを受ける前であり、その準備のようにこの発表会が位置付けられていました。テレマンの無伴奏フルートのための幻想曲第10番、武満徹のヴォイス、タファネルの「魔弾の射手」幻想曲、尹伊桑の歌楽、バッハのソナタ ロ短調、ニールセンの協奏曲より第1楽章でした。どれも印象に残っていますが、とくに武満のヴォイス!私はこの曲にニコレのCDでなじんでいましたが、このときの高木さんの演奏は鮮烈だった!のちに高木さんはこの曲でそのコンクールのなにか賞を受賞したはずです。ニールセンのフルート協奏曲も私はニコレのCDでなじんでいましたが、この日は第1楽章だけの演奏。この曲の第2楽章にはトロンボーンの下降グリッサンドが頻出しますので、これはピアノ伴奏だとどうなったのであろうか、と思ったりもしながら聴いた記憶があります。
最後の先生の演奏は、サンカンのソナチネでした。最後でおどけて笑いを誘っていました。あとから先生に聞いたところ、最後でちょっと失敗しておどけてしまったとのことでした。曲そのものがおどけたような終わり方をする曲です。
そのような、学部3年の発表会の思い出でした。これが木曜日、私はこの3日後の日曜に、当時、入っていた社会人オケで、コープランドの「エル・サロン・メヒコ」やマーラーの「巨人」等を演奏することになるのでした。思い出に残るある21歳の日のことでした。
(最後に、そのランパルの自伝の記事のリンクをはりますね。私がランパルの自伝の話をすると、かなりの割合の人が読みたくなるようですよ。私が学校司書をしていた時代「ビブリオバトル」という「数名で本の紹介をして、最も読みたくなった本を紹介した人の勝ち」という遊びが流行っていましたが、私がもしランパルの自伝でビブリオバトルに出たら相当、強いのではないかと思います。ビブリオバトルに出たことはありませんが。以下です。)

