Mr.ビーン、名画「ホイッスラーの母」を台無しにする

1997年の「ビーン」という映画があります。英国の美術館の学芸員であるミスター・ビーンが、名画「ホイッスラーの母」の前でくしゃみをし、絵を台無しにするという映画です。

私は、この映画を見るたび、ぞっとしていました。私はひとことで言うとミスター・ビーンに似ています。彼も典型的な発達障害かなにかでしょう(そのころ発達障害という言葉はほとんど聞かれませんでしたが)。とてつもないおっちょこちょいなのです。ビーンは名画の前でくしゃみをし、それを拭き消そうとして、絵そのものを台無しにしてしまいます。日本円にして何億円の絵でしょうか!私はあれを見るたび、あたかも自分が犯した失敗かのように感じて「どろぶねから落ちて」いたのでした。

しかし、芸術上のその手のもったいなさは、考えてみると歴史上にたくさんあるのでした。ハイドンのコントラバス協奏曲というのは作曲されたことがわかっています。しかし、ハイドンのコントラバス協奏曲は現存していません。ハイドンのコントラバス協奏曲は、もし残っていれば、コントラバス界最高の名曲だったでしょう。誰だ!ハイドンのコントラバス協奏曲をなくしたのは!(笑)

バッハの受難曲は、「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」だけが知られています。しかし、聖書に載っている福音書は4つあるのです。マタイとマルコとルカとヨハネ。じつはバッハは教会歴にそって「マルコ受難曲」も「ルカ受難曲」も書いたらしいです。しかし、残っていないのは、これまた誰かがなくしたのです。人類の音楽史上の大きな損失です!なかには、「バッハのマルコ受難曲やルカ受難曲は、たいした曲ではなかったからなくなったのだ」という人もいます。しかしこれは、イソップ寓話に出てくる、手の届かないぶどうを「あれはすっぱいのだ」と言い残して去るきつねと同様の心理でしょう。「負け惜しみ」と言われるものだと思われます。バッハのマルコ受難曲、ルカ受難曲も、極めて名曲だった可能性は高いと思います。

また、モーツァルトにフルート協奏曲が2曲もあるのは、当時、モーツァルトにフルート協奏曲の作曲を依頼した人がいたからです。ドゥジャンという人です。依頼する人がいなければ、いまごろモーツァルトのフルート協奏曲は、世の中に存在していないでしょう。フルートを吹く人は、ドゥジャンに感謝せねばなりませんね!

これが芸術というものであります。Mr.ビーンが何億円かする絵画をダメにするシーンは、名シーンだったのです。

もっともったいない話をしましょう。私は、いま考えると、充分な数学の才能と音楽の才能を持って生まれました(自分で言ってたら世話ないですが、まあまあお気になさらず)。それが、幼少時のおもに両親による叱責により、後年、統合失調症を発症し、数学者として最も大切な二十代を無駄にしてしまったのです。多くの数学者は、二十代で大きな成果を上げてしまいます。数学とはスポーツのような世界なのです。ですからこれは一生の損失です。数学者になれていたら、私はどれほどの数学上の発見をしていたでしょうか!(大げさな。ごめんなさいね。)また、こんなに屈辱的で貧乏な人生を歩むことなく、大学教授にでもなって、尊敬されながら生きた可能性のほうがずっと高いです。フルートもプロ並みにうまくてね。たまに余技で教会の青年会バンドのために採譜なんかしちゃったりして。これは、Mr.ビーンの失敗とは比較にならない「もったいなさ」だと思います。もう、どれほどもったいないことでしょうか!「もったいない」という言葉では言い表せないほど!

でもいいのです。これが人生です。私はいま、自分にいまできることを活かして、自営業の道を歩んでいます。どろぶねから降りて、大船に乗りたいです。ようやくミスター・ビーンの映画の意味がわかりかけています。ミスター・ビーンは発達障害かなにかでしょうが、おそらく親から愛された人だったのです。私があの名画をくしゃみで台無しにしてしまったら、自殺したくなると思います。あの名画を無駄にしても大船に乗って泰然として直そうとするミスター・ビーンのシーンは、類い稀なる名場面だったのですね!

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