世間一般で「算数が不得意」と言われるような小学生の生徒さんの膨大な賢さ

また、当教室での授業のようすを公開いたしますね。ご本人と親御さんの許可を得ています。

今月(2024年11月)でご入門から3年目となる小学生の生徒さんです。世間一般では「算数が不得意」と言われるタイプのお子さんです。親御さんのお話では、塾のテストで0点をお取りになったこともあったとか。しかし、この2年間、ご一緒に算数・数学について考えて来た道を振り返ると、このお子さんのとほうもない賢さに圧倒される気がいたします。どういうふうにこのお子さんが賢いのか、ご一緒に少しずつ見て参りたいと思います。

最近のことですが、背伸びして、中学1年の最初に習う「正の数・負の数」のさわりを学びました。このお子さんの強みとして、「数に実感を持っている」ということがあります。「負の数」というのは、実感を超えた抽象的なものでした。お互いに、正の数・負の数を学ぶことの難しさを再認識いたしました。(計算の手順だけ覚えることは可能なのでしょうが。)

同じように、小学5年生で学ぶ「割合」も、実感がわかず、苦手とされていました。教科書では、学習発表会で音楽の発表をするとき、打楽器の定員が2人のところ、希望者は8人であったと書いてあります。このお子さんは、希望者は定員の4倍であるとおっしゃいました。その通りです。しかし、オルガンの定員が4人にたいし、希望者が6人いて、この場合の割合はまったくわかりませんでした。先ほどの打楽器の倍率が「4倍」であるのは「カン」で答えたと自身でおっしゃっており、すなわち「8÷2」という計算を実行したわけではなかったのです。この意味において、「割合」というものを、「実感」でとらえることには限界があったのでした。(これも手順を習って答えだけ出せるような訓練は可能なのかもしれませんが・・・)

このお子さんの「数が実感を伴っている」ということの強みが出たエピソードを紹介いたします。1年以上前、2023年のことでした。1年が何週間か、おたずねしたことがあります。考えて、52週とおっしゃいました。365÷7を計算されたようです。それで、2023年の1月1日は日曜日でした。私が、翌年(2024年)の1月1日は何曜日か、おたずねしたとき、このお子さんは、すっと月曜日とおっしゃいました。これは、365÷7が、52あまり1という計算が実感を伴っておられるためで、52週と1日なので、翌年の元日は月曜日であると「実感をもって」理解されたのでしょう。これはなかなかすごいエピソードだと思いませんか?私も、翌年の同じ日付が何曜日になるかは、とっさにはわからなかったりするものです。

別のエピソードを挙げます。数が実感を伴っているということでは、このお子さんは統計には強みを見せられました。「安全な学校生活を送ろう」という小学4年生の内容では、保健室に届けられるけがのデータを、まるで養護教諭になった気分で分析されました。そのあと、3年生で習う「ぼうグラフ」を学びました。ここで、このお子さんは、教科書の執筆者も気づいていない「正解」に気づく場面があったのです。

1組と2組の「みんなの好きな外遊び調べ」のぼうグラフが教科書に載っています。「ボールあそび」「おにごっこ」「一りん車」「なわとび」の4択でアンケートをとったようです。(ここでそのぼうグラフをお見せできれば、このブログ記事の説得力は増すのでしょうが、私の極端なエクセルおんちぶりから、グラフを省略させていただきますね。すみません。グラフなしでもお読みいただけるように、本文を工夫して書きます。)

教科書には、「1組と2組をあわせて、いちばん人気のある遊びは何ですか」と書いてあります。おそらく教科書の模範解答は、合計のグラフを見て、「ボール遊び」と答えるものでしょう(ボール遊び23人、おにごっこ22人、一りん車10人、なわとび5人)。しかし、このお子さんは、「ボール遊びとおにごっこ」とお答えになりました。確かに!ボール遊びとおにごっこは、1票の差しかない、僅差です。このようなアンケートは、そのときの気分に大きく左右されるでしょう。一りん車やなわとびはもっとずっと少ないので、ここで「いちばん人気のある遊びは何ですか」と聞かれたら、このお子さんのおっしゃった通り「ボール遊びとおにごっこ」と答えるべきものでしょう。教科書の執筆者も気づいていない点かもしれません。

この日、その子のお父さんにこのエピソードをお伝えしますと、お父さんも驚いておられました。お父さんは、お仕事でこのようなアンケートをとることはあるそうですが、しばしばアンケート結果は直前になにをやっていたかに大きく左右されるものだそうです(直前におにごっこを楽しくやったあとのアンケートだと、おにごっこがたくさん出るのでしょう)。これは、数に実感をもった人ならではの「本当の正解」でした。

また別の例を挙げます。昨年のいまごろ、文化祭の季節のころの話です。このお子さんは、「お姉ちゃんが作ったブレスレット、320円!」などと楽しくおっしゃっていました。これに限らず、このお子さんは、しばしば会話に金額が出ます。だんだん分かって参りました。このお子さんは、320円の価値をご存じです。お金の価値を分かっておいでなのです。私よりもずっとよくお金の価値をご存じです。

私の恥ずかしい話をさせていただきますね。私はここ2年半くらいで、教員の仕事を失って自営業となり、改めて「お金とは何か」「仕事とは何か」について考えるようになりました。このブログの「お金」というタグのある記事は、お金について私が最近ようやく理解したことが書かれています。私は東大理学部数学科と東京大学大学院数理科学研究科を出ておりますが、お金の価値は分かっていませんでした。その例を挙げたいと思うのです。

東大には12年おりました。東大数理は駒場キャンパスにあり、12年間、駒場に通いました。12年のうち、最初の9年半はまかないつきの寮に住み、あと2年半は寮を追い出されて下宿しました。まかないつきの寮を追い出された私は恐れました。私は料理をはじめとする基本的な生活習慣が壊滅的にダメなのです。49歳になるいまでこそ、これが発達障害の障害特性によるものだと理解していますが、当時、20代であった私は、非常に恐れました。そして、早稲田大学の学食に頼ることにし、西早稲田に下宿しました。当時、月に11万9千円の奨学金をもらっていましたが、そのうち7万3千円を家賃に使い、残りのお金で、1食500円以内におさめようとしていました。日記に1円単位のお金の出入りが記されています。その下宿は西早稲田としては破格の1Kでした。しかし!西早稲田は山手線の内側で、極めて家賃が高い地域なのでした。駒場はそこから歩きと電車で1時間ほど行った、もう少し家賃の安いところにあります。ですから、まずは駒場東大前の駅のある京王井の頭線の沿線で、安いアパートを見つけるほうがどう考えても賢明だったのです。というわけで、自分の愚かさを書いてみました。恥ずかしいです。このお子さんの話に戻ります。

このお子さんは、お金の価値をわかっておいででした。お金という「数」に「実感」を持っておられます。私は49歳になるいまでも、300円の価値すらわかっていません。(自分がお金の価値を分かっていないことにようやく最近、気づき始めた次第です。)お姉ちゃんの作ったブレスレットは320円でした。いまは小学生です。しかし、このまま大人になれば、桁が320万円になっても、3,200万円になっても、このお子さんは、きちんとお金の価値を把握して家計を支える、とほうもなく賢い大人となられる気がします。それはもう、小中学生のころ、ちょっと算数や数学が苦手であったことが、ほとんど誤差にしか思えないほど、生涯のスケールで、膨大な賢さの発揮となります。こういう人を「ほんとうに賢い人」というのだと思います。

まことに人間の賢さはテストでは測れないものです。このお子さんは、世間一般でいうところの、典型的に算数の苦手なお子さんだろうと思います。しかし、ある意味で、このお子さんは、私の出会って来た標準的な東大生よりもずっと賢いです。おそらくは並みの経済評論家よりもずっと賢いでしょう。皆さんの周囲にもいませんか。典型的に勉強の苦手な人。そういう人はあなどれないという例でした。かくいう私も、このお子さんと、2年、付き合うなかで、じょじょに理解して行ったような話です。

このお子さんは、親から愛された、真の意味で賢いお子さんです。これからも、私が学ばせていただく姿勢で、ご一緒に算数・数学を学んで行きたいです。

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