きゅうに左の脇腹が痛くなった。激痛!

きのう(2025年2月10日)のことです。きのうは、授業が午後6時から1コマしかありませんでした。日課である散歩をし、部屋でのんびり過ごしていましたが、午後4時か4時半くらいから、左の脇腹が急に痛くなりました。激痛です。とりあえず、様子を見ることにし、午後6時のZoomでの授業は通常通り、しました。とてもありがたい授業でした。
授業は終わりました。しかし、左の脇腹の激痛はおさまりません。おそろしくなりました。悪い病気だったらどうしよう。夜でしたが、病院に行くことにしました。スマホで、夜にやっている病院を探しました。めったにないようです。電話をかけてみると、平日の夜は小児科だけの病院もありました。あちこち電話して教わった、少し遠い病院が、やっていることがわかりました。深夜料金として9,900円がプラスでかかることがわかりましたが、もちろん払います。場所を聞くと、電車とバスを乗り継いで、かなり歩くようでした。病院のかたからも、タクシーで来ることを提案され、タクシーで行くことにしました。タクシーで30分くらいかかるところでした。
行きのタクシーの運転手さんは、おしゃべりの得意な、感じのよい若い男性で、不安のなかにある私は、しばしのあいだ、慰められました。改めて、タクシーは尊い仕事です。夜に病気の人を病院に運んでおられるわけですから。その運転手さんは、スマホでその病院の夜間の外来の出入り口の場所を調べてそこまで連れて行ってくださり、最後に「お大事に」と言ってくださいました。勇気を奮って病院の受付に向かいました。
問診票などを書いたのち、呼ばれました。先生は、若い男性でした。私はベッドに寝かされ、エコーを受けたりしたり、さまざまな検査を受けました。先生は画面を見ながら考えておられます。そのうち、上司である別の先生も来られました。今度は、CTに行くことになりました。私はさっきの若い先生に「大きな音のする検査ですか」とおたずねしました。先生は少し考えてから「MRIではないです。CTです。しかし、なぜMRIで大きな音がすることを知っているのですか」と言われました。私は「2018年に椎間板ヘルニアをやったときに経験したのです」とお答えしました。そうして、ベッドごと運ばれて行きました。
考えてみますと、その7年前の椎間板ヘルニアのときの先生は、とてもいい先生でした。痛み止めの飲み薬を出すときも、足りているぶんを計算し、足りないぶんだけ出しておられました。2018年の1年間、ずっと痛かったですが、私は結局、手術をすることなく、ブロック注射と言われる腰への注射2回で、その先生は治してしまわれました。いつもすごく待たされる先生なのですが、それはその先生がひとりひとりていねいに診ておられるからでした。そして、それ以来、7年間、再発していないのもその先生が名医であるからかもしれません。そんなことを改めて思い出しました。お医者さんも尊い仕事ですね。あらゆる仕事は尊いのだと思います。
それで、きのうの話に戻ります。CTが終わり、再びベッドごともとの場所に戻りました。例の2人の先生が、いろいろ考えておられます。私は、悪い病気ではないかと思って、生きた心地がしませんでした。入院になったら、授業をキャンセルせねばならないとか、いろいろ考えました。しかし、ついに私は口を開きました。この脇腹の痛みは、生まれてから経験したことのないような痛みだが、あえて経験したことのある痛みでは、筋肉痛に似ている。変な話だが、ひねったのではないかと。そのように申し上げました。先生は、そんなところでしょうねとおっしゃいました。どうやら、さっきから、長い時間をかけて、ずっと検査をしていたのは、原因が不明だったからなのでした。いま、わかりました。確かに変な話ですが、ひねったのでしょう。私も、部屋でどうして腰をひねるのか、わかりませんでしたが、そうとしか言えません。
それでも、そのあと、採血と、痛み止めの点滴がありました。採血は、若い女性がやってくださいましたが、生まれて初めて、採血で2回、さされました。1回目で失敗したらしいです。すぐに2回目をさされました。終わってから気分を聞かれましたので、採血で2回、さされたのは初めてです、と申し上げますと、堂々とした感じで、私が失敗しましたからねと、真剣に反省するような表情でおっしゃいました。すごいと思いました。私などは、失敗するとすぐにあせってしまって、とてもこんな堂々とした調子で反省の言葉は言えないものです。この女性は、失敗から学んで次につなげることのできるタイプだと直観しました。こうして経験を積んで、採血もじょうずになっていかれるのでしょう。「おばあちゃんの知恵袋」という表現を聞いたことがあります。おそらく、若いころから経験を積んで成長するタイプの人は、おばあちゃん(あるいはおじいちゃん)になるころには、とてつもなく賢くなっているのでしょう。そういうおばあちゃん(あるいはおじいちゃん)は、大概、性格もいいです。おそらくそんなタイプの看護師さんでした。
血液検査の結果が出る前に、痛み止めの点滴をうたれ(これをさした人はじょうずであったと思われ、いつさされたかわからないほどでした)、検査結果が出るまでまたベッドで待ちました。血液検査の結果も問題なく、先ほどの先輩の先生が「おそらく寝違えたのでしょうね」とおっしゃって、私の診察は終わりました。薬も出ませんでした。
最後に、受付で精算をしました。びっくりするほど高かったです。(このときは、まだ「ひねっただけだ」と思っていたわけです。この話には続きがあります。この部分を書いているのはまだ2月11日です。)もう深夜の12時をまわっていて、もう電車やバスはないかもしれず、帰りもタクシーにしました。すぐに来てくださいました。病院代がすごく高く、財布には千円札が1枚しかありませんでした。家まで運んでいただき、タクシーに荷物を置いた状態で、家にお金を取りに行きました。しかし、とっさに現金がなく、再び待っていただいたタクシーに乗ってコンビニに行き、そこのATMでお金をおろしてどうにかタクシー代を払い、帰宅しました。タクシーは往復とも、障害者割引がきき、少しだけ助かりました。
というわけで、往復のタクシー代も含めて、ものすごい出費となりましたが、行ってよかったと思います。というのも、痛み止めの点滴を受けたにもかかわらず、夜、寝るときに、脇腹はまだかなり痛かったからです。これで、病院に行っていなかったら、心細くて眠れなかったことでしょう。一夜明けた、いまもまだ痛いです。仕事には支障ないと思いますが。
と、翌日の2月11日に、ブログ記事にするつもりで、ここまで書いたのです。いま、2月19日です。この間、なにがあったかを、以下に書きます。
2月11日は、祝日(建国記念の日)でありました。通常通り、仕事をしました。翌日の朝、電話で目覚めました。その病院からです。お医者さんのじきじきの電話でした。前々日の夜のCTで、膀胱に1センチくらいのもの(かげ?)が見つかったということです。泌尿器科にかかるように言われました。最初、私はことの重大さに気づかず、遠い病院であることが思い出され、その先生に、近くのクリニックに紹介状を書いてくださるように頼んでしまいました。電話を切って、ことの重大さに気づき、もう一度、電話し、その病院で診てもらえるよう、お願いしました。また、そのお医者さんが、じきじきに電話に出られました。2月18日(火)の朝11時に泌尿器科での診察、となりました。
それから大変です。非常に恐ろしくなりました。今度こそ、膀胱がんではないか。膀胱になにかができるとき、多くは悪性であることも知り、また恐ろしくなりました。この日からの6日間の恐れは、ちょっと書き表し難いものがあります。私は、こういうのが生まれて初めてに近かったのです。ブログの執筆などする気も起きず、確定申告の時期ですが、そのようなものも手につきません。かろうじて、毎日、ちょっとずつある、算数・数学の授業で、Zoomごしに、生徒の皆さんに会えるのが、私の生きるモチベーションを支えてくれました。考えたことはたくさんあり、それは、ゆくゆく、このブログでもご紹介してゆきたいです。それで、2月18日(きのう)、ついに通院する日が来ました。
今回は、タクシーではないわけです。電車を乗り継いで、行きました。ほとんど行ったことのないところでした。スマホで道を調べて歩きました。梅が咲いている家もあります。もしかして、梅を見るのは生涯で最後ではなかろうか、などと思いながら歩いていました。前の週に、タクシーで来た、救急の外来の入り口も見ました。きのうは、正面から普通に入りました。
まず、検尿がありました。尿を提出したのち、泌尿器科の受付に行きました。待合室で待ちました。生きた心地がしません。しばらく待ち、呼ばれました。
先生は、前の週の夜間の先生ではありません。泌尿器科の先生でした。膀胱に1センチくらいできている。腫瘍かもしれない、がんかもしれない、と先生はおっしゃいました。尿道から入れる内視鏡で、見てみましょう。本日のご都合は?と聞かれました。その日は、夜に1コマ、授業があるだけでした。それを申し上げると、それは問題ありません、明るいうちに終わりますから、と先生はおっしゃいました。それで、その日のうちに、検査をお願いしました。
しばらく待たされるようなことを言われましたが、すぐに呼ばれました。たまたま時間ができたそうです。尿道から入れる内視鏡の検査でした。5分くらいで終わり、すぐに先生は、がんではありません、詳しくは診察で、とおっしゃいました。
それからまた少し待合室で待ち、再び診察室に呼ばれました。さきほどの、自分の膀胱の写真を見ました。先生は、これは、がんではないと再びおっしゃいました。あえていうと、ここに膨らみがあるでしょう、と先生は言われました。確かにそこは膨らみに見えます。しかし先生は、これは、ナントカというのであって、よほど良性だし、と言っていました。それで、私が、それがCTの1センチですか?とおたずねすると、いや、それもわからない、CTの1センチのかげは、CTのノイズだったのかもしれないし、とおっしゃいました。それで、尿道に管を入れる検査をしたため、抗生剤が2日分出て、終わりとなりました。つまり、がんではなく、腫瘍ですらなかった、ということになります。先生に、まだ左の脇腹が痛いと申しますと、それは関係ないとおっしゃっていましたし、これはよほど筋肉痛でしょうか。
帰り、処方せんを持って調剤薬局に行き、前にブログに書いたことのある、とんかつ屋さんに入りました。「はい、いらっしゃいませー」という、例のおばさんのおもてなしの声が聞こえ、人心地がつきました。それで、とんかつをいただき、薬局で抗生剤をもらって帰りました。帰りにも、梅の咲いているお宅を2軒ほど見ました。梅の季節なのですね。
というわけで、改めて、世の中は支え合いでできている、と実感するとともに、49歳でありますし、摂生をせねばならないと思わされました。電話があってから、きのうの受診までの6日間で、読書がはかどりました。読書に逃避していたのです。わけても、そのころ、授業の最後に、本のおすすめをしてくださった生徒さんがあり、その本は、翌日には本屋さんに行って買ってよみました。私が普段、読まないタイプの小説であり、つかの間、楽しませてもらったものです。これだって、楽しい本を書く人は、つらい仕事をする人にとっての息抜き、病にある人にとってのなぐさめとなっているわけです。私も支えてもらいました。ありがたいことです。もう行けないかと思っていた演奏会も、聴きに行けそうです。授業もがんばりたいと思います。長い記事で失礼いたしました。以上です!
