自宅と会社(ないし学校)が世界のすべてだと錯覚すること

私は学生時代、アマチュア・オーケストラをやっていました。社会人のオーケストラに入っていたこともあります。自分が社会人になってから社会人オーケストラには入っていませんが、あれは典型的な「サードプレイス(第3の場所)」でした。皆さん、集まって楽器の練習がしたいという気持ちもさることながら、じつは、自宅でも会社でもないところに行きたかったのだ、と今は思えます。
いろいろな人に電話をしてみると、多くの人が、さまざまな「サードプレイス」を確保なさっていることに気づかされます。ある東大の物理学を出られた30代後半の男性は、人とつながる場所として「デイケアはかなり使えますよ」と教えてくれました。それから「東大OB会は、60歳とか80歳の人も少なくないので、われわれでも若いほうで、かわいがってもらえる」という話もしてくれました。またある人はお料理教室、ある人はテニスサークル。病院仲間と連絡を取り合っているという「うつ友」もいました。
「教会」も、サードプレイスとしての意味合いの強いところです。オーケストラが音楽のためだけにあるのではないのと同様、教会というのも「神様を礼拝するところ」というだけではないわけです。「自宅でも会社でも(あるいは学校でも)ないところへ行きたい」という気持ちから、人は教会に通うのです。自宅と職場(あるいは学校)の往復だけの生活をしておりますと、あたかも自宅と職場(あるいは学校)だけが世界のすべてであるように錯覚してしまいます。ある若い牧師さんが「しばしばこの牧師室が世界のすべてであると錯覚してしまう」と言っていたことも思い出します。
そろそろ2学期が始まりますね(地域によってはもう始まっていますね)。自宅と学校が世界のすべてであると錯覚なさっている学生さんが、自宅でもダメ、学校でもダメということになりますと、逃げ場を失ってしまいます。「もうダメだ」と思ってしまうのではないでしょうか。
「神は我らの逃れ場」と聖書でも言います(旧約聖書詩編46編2節)。そもそも紀元前の昔から「神」というのは「逃れ場」「逃げ場」なのです。教会はサードプレイスでいいのです。礼拝中に寝ていてもいいのです。休みに行っているのですから。ある教会の名物おじさんは、日曜にゴルフで礼拝を欠席するとき「来週は”ゴルフ礼拝”に行きます」と言っていました。そのおじさんにとって「礼拝」とは「日曜日に会社でないところに行くこと」という意味だったことになります。
とにかく、自宅と学校(ないし会社)が世界のすべてだと錯覚なさらないでくださいね!サードプレイスがダメなら、「フォースプレイス」「フィフスプレイス」と作っていって、どれかひとつでもうまくいっているところに逃げればよいと思います。
この「星くず算数・数学教室」も、「サードプレイス」であることができたら、と思っています。教会が神様に会うだけの場所でないのと同様、算数や数学を学ぶのも、「自宅でも会社(ないし学校)でもないところへ逃げる」という意味があると思います。じつは、われわれの見えているこの世の中が、世界のすべてだと錯覚しないために「天国」というものがあるのかな、と思ったりもします。それはともかく、自宅と会社(あるいは学校)以外に逃げるところを作っておくのは大切だと思いますよ!
