制約があったほうが創造的になる場合の話

ジャン=ピエール・ランパルという20世紀の有名なフルート奏者がいます。オーケストラ奏者ではなく、フリーランスのフルート演奏家としての道を切り開いた人物です。ヴァイオリンやピアノと違って、フルートは独奏楽器とはあまり認識されて来なかった歴史があります。ベートーヴェンもメンデルスゾーンもブラームスもサンサーンスもチャイコフスキーも、ヴァイオリン協奏曲を書きましたが、フルート協奏曲は書いていません。(これらの作曲家はまたピアノ協奏曲も書いています。)ランパルは、同時代の作曲家にフルートの曲を依頼することを自分のライフワークにしていました。ランパルの自伝を読むと、ランパルは作曲家に会うごとにフルートの曲を依頼しています。そんななか、生まれた名曲はたくさんあります。そのなかでも今回はプーランクのフルートソナタを挙げます。

プーランクのフルートソナタは、ランパルの委嘱で書かれました。非常に人気のある曲です。12分くらいの3楽章からなるフルートとピアノのためのソナタです。この曲が「フルート業界曲」の域を超えている証拠として、フルートやピアノをやる人以外にもプーランクのフルートソナタが好きな人はたくさんいるということが挙げられます。私の大学オケの仲間でも、トランペットの同輩にも、トロンボーンの先輩にも、プーランクのフルートソナタの愛好者がいました。とにかく非常に名曲なのです。

しかし、もしもプーランクに充分な時間とお金を与えて「どうぞ好きなように作曲してください」と言ったら、この名曲が生まれたかどうかはわかりません。この曲は、ランパルが「フルートソナタを作曲してください」と言ったから生まれた名曲だと思われるのです。「自由に作曲してください」と言われるのと「フルートソナタを作曲してください。独奏者はオレ」と言われるのと、後者のほうが「不自由」な気がしますが、実際には後者の委嘱でしか生まれない名曲があるということだろうと思います。

私も、このような自由に書いてよいブログでは書けないようなことが、たとえばQuoraで質問されることによって書けることがあります。質問されることで、自分では開かない自分の引き出しが開くことがあるのです。

ワインリブという数学者の「曲面の写像類群は2元で生成する」という論文を、学生時代に読んだことがあります。証明まで含めてきちんと勉強しました。この論文のイントロダクションに、この研究の生まれたきっかけが書いてありました。ある研究所に滞在したときに、ある数学者から「写像類群は、少なくていくつの元で生成するのだろうか」と言われたというのです。(論文にはちゃんとその研究所とその数学者の名前も書いてありました。)この問いを受けて、ワインリブはこの論文が書けたのです。この論文は、100%、ワインリブが書いたものでしょうけど、その質問を受けなければ書けなかった論文だろうと思うのです。

以下の例は出すかどうか迷った例です。新垣隆さんという、佐村河内守氏のゴーストライターをしていた作曲家が「佐村河内と別れてからヒット作がないではないか。やはり佐村河内がいないとなにもできない人ではないか」と陰口を言われたりしているようです。思うに、交響曲ヒロシマは、100%、新垣さんが作曲なさったのでしょうけれども、佐村河内さんから「こう書いて」と言われなければ生まれなかった曲なのだろうと思うわけです。

ちょっといまの最後の例を出すのを迷ったわけですけど、そのようなわけで、プーランクのフルートソナタはランパルの委嘱のおかげで生まれた名曲であるわけです。ほかにランパルの「業績」としては、ハチャトゥリアンにフルート協奏曲を委嘱したところ、ハチャトゥリアンは新作を書かなかった代わりにヴァイオリン協奏曲をフルート用に編曲してよいとランパルに言い、ランパルがハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲をフルート協奏曲に編曲して大成功となったことなどがあります。そのほか、バーンスタインのハリルとか、ジョリヴェの協奏曲、また、日本でのアンコール用の、矢代秋雄編曲の滝廉太郎の「花」は日本のフルート界の宝のようなレパートリーになっています。制約があったほうが創造的になる場合がある話でした。

(蛇足ですが、プーランクのフルートソナタがそんなに名曲なら聴いてみたいと思われたかたのために少し書き加えますと、私のおすすめの演奏はデボスト(フルート)、フェヴリエ(ピアノ)の録音ですね。YouTubeにあるかもしれません。パユやデュフォーもすばらしいです。もちろん委嘱初演者のランパルとヴェイロン=ラクロワの演奏もすばらしいです。作曲者であるプーランクがピアノを弾いた録音もあるのですが、それはランパル自身が気に入っておらず、聴いてみると確かにヴェイロン=ラクロワとの有名な録音のほうがよい演奏です。作曲者本人が必ずしもいい演奏をするとは限らない例ですが、こういう話の深掘りはまたいつか…。)

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