教授の言葉で覚えているもの

東大数理(東京大学大学院数理科学研究科)の松本幸夫先生(当時)が、ホワイトボードを見ながら、「本物の数学は黒板とチョークからしか生まれない気がする」と、なかば冗談、なかば本気でおっしゃっていました。とても印象に残っている言葉です。
 
ずっとのち、大学院で落ちこぼれ、私は、30歳で中高の数学の教員となりました。ある時期から「ICT教育」という言葉を聞くようになりました。いわゆるハイテク機器を使っての授業のことを指すようです(ハイテクっていう言葉も死語かもしれませんが、意味は通じますでしょう。この語を使わせてください)。プロジェクターでさまざまな動画を生徒さんにお見せしながら、授業をするのでした。私が教員だったのも7年前までで、一昔前だろうと思いますので。いまは違うのかもしれませんが、大まかに言って事情は変わっていないだろうと思います。

あるとき、ある大学の機械工学の先生から、「早戻り機構」という概念を聞きました。言葉を聞いただけです。その道では常識的な概念であるようです。私はインターネット検索をしてみました。すぐに以下のような動画がヒットしました。

早戻り機構 – Bing images

ご覧にならなくてもいいのですが、ゆっくり行って早く戻る様子が動画からうかがえます。これは問答無用に早戻り機構を納得せざるを得ない動画です。しかし、ここからすぐに言えることは、この動画を見たからと言って、早戻り機構が理解できるようにはならないという厳然たる現実です。

これは、泥臭く自分の手を動かして計算し、何度も間違ったりしながら、七転八倒してようやく身につく類の概念です。しかし、先述の「ICT教育」は、まさにこういった動画をたくさん見せる教育でした。これは「わかった気になる」動画です。「わかった気になる」のと「ほんとうにわかった」のとは異なります。

冒頭の松本幸夫先生の言葉は、ホワイトボードからすらも本物の数学は生まれない気がするという発言でした。少なくともこのようなCGのようなものから本物の学問は生まれないと思います。早戻り機構で言えば(私は早戻り機構を学んだことがありませんので、例として不適切だったかもしれませんが)、それこそ何度も自分の手を動かして、何度も間違えたりしながら、七転八倒してようやく身につく類の概念だと思います。学問において、自分の手を汚さないで学べると思うのは錯覚です。ダメ押しで、三角関数のグラフが、単位円の回転から生成するようすを描いた動画のリンクをはります。これは私も教員の時代にずいぶんプロジェクターで見せました。しかし、これで三角関数のグラフが理解できるわけではありません。私が三角関数を学んだ高校時代は、このような動画のない時代でした(ほとんどインターネットというものがなかったです)。しかし、この動画は、頭のなかで描けていました。そうなるまで自分の手を動かして学ぶのこそ学問です。ICT教育は好きになれません。星くず算数・数学教室とはそういう教室です。

三角関数のグラフ1ー正弦波 Keynote – Bing video

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