自伝風の読み物 ③ 地球の認識

このシリーズの初回で、私は幼少のころ、地球を3次元球体と認識していなかったということに少し触れました。当時、どのように地球を認識していたのかについて書きたいと思います。
誰かが「実は地球は丸いのだ。しかし、あまりにも大きいので、われわれには平らに思えるのである」という話をしていました。複数の人からそう言われたかもしれません。それで、私は以下の図のように地球を認識しました。

つまり、われわれは地球という丸いものの内側に生きている。およそ上半分が、いわゆるプラネタリウム(そのようなものの見たことのあるずっと前ですが)のような天球で、下半分が、地面です。このように、丸いものの内側に住んでいるのだと思ったのです。(「地球は丸い」と聞いて、こう認識した人に会ったことはない気がします。「そうそう、オレも小さいころそう思った」という人に会ったことがないのです。)
したがって、親がこぐ自転車の、(後ろの席でもなく)運転者とハンドルの中間にあるスペースに乗っていたくらい小さいときですが、少し遠出して(それでも1キロメートルくらい行ったときだと思いますが)、だんだん上り坂となってきたので「そろそろ地球の端のほうへ来たかな」と思ったことを思い出します。
このように地球を認識しますと、以下の図のように、地面と空の境目が気になります。

私の住んでいたあたりは、田舎であったとはいえ、家はたくさん建っていました。家の下は地面であり、家の上は空でした。漠然とそれらの風景を見ていただけですが、地平線が見えるようなところではありません。以下は幼稚園のころの記憶です。
画用紙に絵をかく時間です。だいたい幼稚園生のかく絵は、家があり、木が生えていて空があり、人間がいたりするようなものです。(すみません。いまホワイトボード機能でかこうとしましたが、幼稚園児のかくような絵は、現在、再現が極めて困難であることに気づきました。絵を省略します。)
このようなとき、いま考えますと、地面は土の色のクレヨンでぬり、空は青くぬります。その境目はあいまいであるわけですが、私はだいたいそのような絵をかきながら、地面を茶色でぬり、だんだん上のほうまで土の色でぬりました。位相的には地面と空が交わるわけではなく、それぞれが無限遠に向かっているのでしょう。
私は、下からだんだん地面を茶色でぬり、上のほうまでぬっていきました。下からだいたい画用紙の7割から8割くらいまで土の色でぬってから「まずい!すべて土になってしまう!空もぬらなきゃ!」と思ったわけです。あわてて、上のほうだけ空の色でぬりました。やたらと地面の割合の大きい、アンバランスな絵になったと思います。
これも、いま考えてみますと、地球を球面の内側に人間が住むものと認識し(半径が非常に大きいと曲率は0に近く)、そうだとすると地面も空も開集合なので、境目が分からない、という状況らしいと分かります。やはり小さいころの私は、位相的な発想をしていたらしいということを改めて思い出しています。
