これは「勉強のできる人、できない人の差」か?

(このブログ記事には、しばしば数学の専門用語や、専門的な表現が出ますが、気にしないでお読みいただけます。)
最近、「これは、 “勉強(狭く言えば数学)のできる人、できない人の差”ではないか」と思った一連のことがあります。それを少し皆さんと共有したいと思います。
数学基礎論と言われる分野があります。私は、そういう名だと知らずに、中学のときに出会いました。(以下、少し難しげな記述が続きますが、気にせずお読みいただけます。)家に『ゲーデル、エッシャー、バッハ』というぶ厚い本があったのです。タイトルにバッハという名があったので興味を持ち、手に取りました。ゲーデルの不完全性定理について述べた本でした。私の理解でいいことは、ずっとのち、大学院生のときに、たまたま教会で知り合った人が、数学基礎論を専門とする東大数理の先輩で、話したときに分かりました。「無限生成の群が、いくら有限個の生成元を並べても生成しないようなものか(いくら有限個の公理を並べても、真なる命題のすべてが生成しない)」とたずねて、だいたいそうだという話を聞いたのです。それで、本日の話はこれがメインではありません。「数学基礎論」と聞いて「数学の基礎の論ですね。数学の基礎なので、教科書の練習問題のことですね」と当たり前のようにとらえる方がときどきおいでになるのです。「え!?」と思うようなことですが、そういうことはしばしばあります。
数学の用語は、名前から判断できるものではないことが多いことに気づかされるのです。「ギャップ萌え」と聞いて、「ギャップの萌えですね」と解釈して問題ないわけですが(「ギャップの萌え」というのは、分かったようで分からないですが)、そうはいかない数学の用語が多いのです。「ベクトル空間」というのは「ベクトルの空間ですね」ではすみません。「ベクトル空間」でひとつの用語なのです。「微分形式」と聞いて「微分の形式ですね」というわけにはいきません。「微分形式」でひとつの用語なのです。
三十代の教員時代、勤めていた中高で、進学講座というものがありました。放課後に、各教員が、いろいろ講座を行うのです。ある「できる」教員が、「整数論」という進学講座を行っていました。驚きです。高校生に対して整数論の話をするとは!これは、「整数について論じる講座」でした。高校の数学Aで習うような整数の話です。(「整数論」は、代数の一分野に属する専門的な数学です。私も内容を知らず、詳しく書けませんが、少なくとも「整数を論じる」という意味ではありません。もっともこの教員は先述の通り「できる」教員であり、これは知っていて冗談半分にそう書いていたのか、いまとなっては分かりません。)
以下は受験用語であるようで、よく知らないことではあります。三角比(三角関数)を含む方程式を、三角方程式と言うらしく、それに伴って、三角比(三角関数)を含む不等式を「三角不等式」というらしいですが、これには違和感をもたれる方が一定数おられるようです。それはそうでしょう。「三角不等式」は、それとはぜんぜん違う意味の、本格的な数学用語で存在するからです(「寄り道をするよりも、まっすぐ行ったほうが近いこと」を意味する不等式)。しかし、「群数列」という語について、これと同じような話は、受験業界でほとんど聞きませんでしたね。群数列は、高校の教科書に出てくる、数列(これは「数の列」と解して問題のない語)を、いくつかの群に分けたりするものです。ここで「群」というのが、専門的な数学で存在する用語なのです(集合に演算が定義されていて、演算について閉じていて、結合法則が成り立ち、単位元が存在し、必ず逆元が存在するもの)。これには参りました。私は高校で授業するとき、これをどう言っていいか分からなかったものです。「グループ数列」と言おうにも、群は英語でグループというので、まるで言い換えになりません(正確にはグループを日本語で群というのでしょうが)。このような悩みはどなたとも共有できたことがありません。
私はまた、中高の数学の授業で「表現」とか「表示」という言い方も使えませんでした。表現とか表示という語は、これも数学の用語で存在するからです。群の表現と言いますと、ある群から線形な群(行列で書ける群)への準同型写像のことを言います。群の表示とは、ある群が生成元とリレーションで書けることを言います。私がこのようなしばり(表現、表示、群という言い方が高校の数学の授業で使えない)のなかで生きていたことを、誰が知ることでしょう!
(それで、線形という語も、線の形という意味ではありません。)
話を戻します。一般に、勉強が苦手、狭く言って数学が苦手である人の特色があると思っています。それは、日常用語と数学用語の区別がつかないことでもあり、名前から意味を推測してしまうことでもあります。「平均」「確率」「距離」「比例」などは、日常用語としての意味と、数学用語(専門用語)としての意味が離れている語です(たとえば、日常用語でいうところの「最短距離」「直線距離」のことを、数学用語で単に「距離」と言います。日常用語の「平均」はしばしば数学用語でいう「代表値」の意味だったりします。間違いと言っていませんが、定義を確認する必要があります)。それで、先ほども申しましたが、「行列式」と聞いて「行列の式」という意味ではなかったりするのです(行列式は行列の式であるとも言えますが、行列の式という意味ではない)。「同値関係」は「同値の関係」ととらえるとまずいです。これは、数学をやる上で、注意すべき点です。
「名古屋大学」は「名古屋の大学」という意味ではありません。「東京大学」は「東京の大学」という意味ではないのです。東京大学は東京の大学の一種ではありますが。「眼鏡市場」と「眼鏡の市場」は意味が違います。「眼鏡市場」でひとつの用語(?)なのです。「井の頭公園」と「井頭公園」は違う公園です(前者は東京にあり、後者は栃木県にあります)。こう書きますと、お笑いのようですが、そうではなく、これは勉強ができる/できないの境目かもしれないと思ったりするのです。いとしこいしの漫才を思い出します。「ぼくだってサインコサインは知っているよ。頼まれたら名前を書く。サイン。こんな小さい紙にも書くよ。コサイン」。これだとまさに笑い話に聞こえますが、これと同等のことが実際にたくさん起きていることはここまでお読みくださればお分かりいただけると思います。「りんご農家」と聞いて「りんごの農家」と解して問題はないですし、「梨畑」と聞いて「梨の畑」と解して問題はないですし、「東大入試」と聞いて「東大の入試」と解して問題はないですが、数学ではそうでないことが多い、という話でした。
