「傾向」という概念から「普通」という概念へ、そして「障害」「障害者」という概念へ(3)

これは、3回にわたって続く連載の記事の第3回です。ここからお読みくださっても読めます。それでは書きますね。
さて、高校の数学の教科書で習う「2つの変量の間の関係」から「傾向」という概念、そして、「普通」という概念を見て参りました。ここから「障害」とか「障害者」という概念の正確な理解に至る話を書きますね。
「障害者」というのは、「少数派」のことなのです。少数派ゆえに生きるのに困っている人。これは、「普通」というものから逸れている人を意味します。以下のような例がまずはわかりやすいと思います。
かつて、インターネットで見た、車いすの女性。旅館に泊まって、車いすに乗っていると届かない場所にものが置いてあることがしばしばあるそうです。それは、ほとんどの場合、意地悪ではありません。多くの人は、その高さにものが置いてあっても、手が届くのです。車いすに乗っているごく一部の人が、手が届かないわけです。これを障害と言います。多くの人(「普通」)と違うために、思わぬところで困った思いをする。これが「障害」「障害者」という概念の正体だと思います。
私は、発達障害と統合失調症で精神の2級を持つ障害者です。これもわかりやすいと思われる例で、睡眠障害を挙げましょう。多くの人は、薬など飲まず、一日に7時間くらいの睡眠で足りて、それが前提で世の中がまわっています。私は薬を飲んで、もっと長い睡眠時間を要します。変な時間に眠くなったり、逆に夜に眠れなかったりします。これも、世の中の「普通」を基準として世の中がまわっているため、一部の「普通でない」人が日常で困る、というところから「障害」「障害者」ということになるのです。
私は色弱でもあります。緑と赤の区別がつきにくく、また、灰色とピンクの区別もつきづらいです。よく「そこのピンクのやつ取って」と言われて往生しています。これも多くの「普通」の人は灰色とピンクの区別がつくために、それを基準に世の中がまわっており、灰色とピンクの区別がつかない人は障害者であるとなるのです。逆に、私には絶対音感がありますが、世の多数の人に絶対音感があったら、絶対音感のあることが前提に世の中がまわっているはずで、絶対音感のない人は障害者になるでしょうね。
障害者福祉の人から聞きました。2+2が計算できない人は知的障害だそうです。しかし、cos60°が計算できない人を知的障害とは言いません。これは、2+2は多くの人ができることを前提に世の中がまわっておりますが、cos60°はほとんどの人は学生時代にやったきり忘れていますので、わからなくても世の中がまわっているため、cos60°がわからなくても日常に支障をきたさないためです。
2+2ができなかったら知的障害ではないかと思われたかもしれませんが、これも、鳥の世界や昆虫の世界では、もしかしたらみんな2+2ができないかもしれません。それが「普通」ならそれで世の中はまわるのです。逆に、人類は、環境問題ひとつ解決できない障害者かもしれないのですが、地球を任されてしまっています。すべては標準との比較ですね。
聖書には多くの「盲人」が出て来ますが、2000年前に視力検査やメガネがなかったであろうことを考えますと、当時の皆さん、現代でもサンコンさんの母国の皆さんのように、視力が9.0くらいあったのかもしれません。そんななかで、視力が1.2の人は「盲人」ではないでしょうか。みんな視力が9.0くらいあることを前提に社会がまわっていると、視力が1,2の人は、仕事や家を失うくらいに日常生活に支障が出るでしょう。
ある人から聞きました。空を飛べないという意味で、あらゆる人は障害者であると。そうですが、空を飛べないことをもって障害者と言わないのは、みんな空を飛べないからです。もしも空を飛べる人が多数派ならば、ビルに階段やエレベータはついておらず、みんな空を飛んで5階でも10階でも行くでしょう。そして、空を飛べない一部の人は「障害者」と言われており、ビルに階段をつけることを「バリアフリー」と呼んでいることでしょう。
以上、「傾向」という概念から「普通」という概念が導き出され、そこから「障害」「障害者」という概念が導き出されることを見て参りました。ほんとうに「障害」という概念を理解するには「傾向」という概念の正確な理解が必要とされるのです。
以上、3回にわたって連載をして参りました。ここまでお読みくださり、ありがとうございます!
第1回と第2回はこちらです!


