休憩とか気分転換とは優先順位の見直しの時間であった

先日、雑誌の校正をしていて、途中で作業をいったん中断し、ブログの更新をしました。さっきまで、1分1秒を争う感じで、必死に誤字脱字を探していた私は、急に30分くらいの時間をかけて、のんびりとブログの更新をいたしました。そこで気づいたことがあります。休憩とか気分転換とは、「優先順位の見直し」の時間、というものではなかろうかと。

先輩で、つぎのように言っていた人がいます。個人差はあるかもしれないけど、自分は、勉強したり、部屋の掃除をしたり、散歩をしたり、また勉強をしたり、楽器の練習をしたり、というほうが、勉強がはかどる、と言っていたのです。これは私も大いに思い当たることがあります。これが実際に目に見える形で存在するものが、学校の「時間割」なのだろうと思います。月曜の1時間目から、国語、算数、図工、体育、というふうになっていました。「月曜は朝から5時間、すべて国語」「火曜は朝から5時間、すべて算数」というふうにはなっていませんでした。(そして「水曜は朝から5時間、すべて体育」だったら身が持ちません。)いろいろなものを交互にやることは、人間にとって自然なことなのだろうという気がします。

私にとって、雑誌の校正という仕事も、本業である算数・数学の個人指導という仕事のなかで、「仕事で仕事の息抜きができる」という位置づけであるものです。これは、先述の通り「優先順位の見直し」という側面があることに気づかされたのです。

「なにが一番大切なのか」ということは、私がしばしば見失うもので、これを見失わない人は相当に賢い人であると言えましょう。たったいま、私はこうして、ブログの記事を書いています。これは、きのうの夜から「あしたは起きたらブログの記事を書こう」と思っていた計画です。ところが、実際には、本日は、生徒さんからの連絡があったり、別な人からメールがあったりして、なかなか思うように自分の予定が進まなかったものです。こういうとき「なにが一番大切なのか」を見失わないことって大切ですね。

聖書に「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」と書かれています(新約聖書マルコによる福音書8章36節)。これはもう「おっしゃる通りです」としか言いようのない言葉で、生きるうえでの優先順位を見失うと、全世界を手に入れて自分の命を失うようなことになってしまうのです。気をつけねばなりません。

「休憩」「気分転換」「息抜き」。これらは、私が「早く雑誌の校正を終わらせねば」とか「本日はブログを書く計画を立てたのだった」という思いから解放されるときなのだと思います。自分にとってなにが一番大切なのかを見失わない知恵が欲しいと思います。大らかに生きて行きたいものです!

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