新星日響のバッハ「マタイ受難曲」を聴いた(2000年7月16日)

修士課程2年のころ、新星日響(新星日本交響楽団)で、バッハのマタイ受難曲を聴いた思い出話を書こうと思います。
バッハのマタイ受難曲に親しんだのは、教会で聖書に接するよりも前であったと思います。渋谷のHMVで、リヒター指揮の有名なCDを買いました。いまも持っていますが、ドイツ語と英訳しか載っておらず、日本語訳のないものでした。それでも一生懸命、聴いたものです。感動的でした。だいぶ聖書に親しんだいまは、バッハのマタイ受難曲の聖書のとらえ方は、聖書そのもののおもしろさからは遠く感じるようになって参りましたが、それでも音楽のよさは変わりません。バッハの理知的な作曲技法については、私は中学生のころ、ピアノで2声のインヴェンションを習い、その精緻な作曲技法に驚嘆したという経験があり、以来、私のなかでバッハという作曲家は特別なものとなりましたが、バッハの宗教曲はそれとまた違う魅力があるように思われました。少なくとも今回の「マタイ受難曲」においては、たとえばバッハが「フーガの技法」のような音楽を「計算ずく」で作曲するときより、いくぶん「センチメンタルに」作曲しているようにも思えるのです。
本日は、聖書の観点抜きに、この修士課程2年のときの演奏会の思い出を、記憶、パンフレット、プログラム、日記から書きたいと思います。
このころ、私は修士論文の第1主定理の証明を終え、そこで構成された複体と言われるものに、ある群の作用を考えると、当時の未解決問題の解決につながることに気づき、それを第2主定理としようとしていたころでした。日記によりますと、7月10日には、新しい2-cellである「2A」というものが増えていることに気づいています。これは私の第1主定理の(自分で言っては説得力がないのですが)「画期的」なことでありました。群の表示というものは(もっともここでは亜群なのですが)、関係式は、余計なぶんには構いませんが、足りないぶんには非常に困るのです。ずっとのち、2004年にこの論文が注目され、ある大学で講演をすることになったとき、私を呼んでくださった先生には「既存の論文にはギャップ(論理的飛躍)があるということですね?」と鋭くおっしゃっていただいたものです。私の論文は最も後発であったぶん、最も厳密なのでした。とにかくこの「2A」と言われる2-cellの発見は、のちに私の誇りとなるものでした。(この論文が出版できていないのは惜しいですね。)
そして、この演奏会の前の日である7月15日には、私は第2主定理となる、この複体への作用が自由である群に気づいています。その群の表示は当時、作れていませんでしたが(有名な未解決問題でした。いまも未解決だと思います。多くの人があまりの難しさに、この群の研究から去っていったと思います)、最終的に、この群の表示は、私は作ることができなかったのですが、充分に評価され、私の修士論文の第2主定理となったのでした。その最も基本的なアイデアが出ていたころの話になります。
この演奏会は、新星日響のコーラスに入っていた、教会の仲間が出演するので、招待券をいただいた、というものになります。新星日響はこのときしか聴いたことがなく、かつこのオケはのちに東フィル(東京フィルハーモニー交響楽団)と合併してなくなりましたので、私が新星日響を聴いた唯一の機会となったわけです。そのころは、私は教会でも活発な活動をしており、この2000年には、私は洗礼を受けていない(洗礼を受けるとはキリスト教の信者となることです。つまりまだ信者になっていない)にも関わらず、青年会長を任されていました。その、群の作用が自由ではないか、すなわちその群の表示が作れるのではないかと気づいた日は土曜日であり、教会の仲間と楽しく教会学校のキャンプのしおりなどを作っています。私は教会学校のスタッフでもあったのです。
7月16日当日は日曜日でした。教会学校の子供たちの礼拝から出て、いわゆる大人の礼拝も出ました。私とそれほど年齢の変わらない伝道師の先生の説教でした。(当時、彼は26歳、私は24歳だったと思います。)
このあと、教会学校の運動会だったのですが、私はチケットをもらっていた「マタイ受難曲」のほうへ行きました。池袋の東京芸術劇場でした。出演する仲間のご両親も教会の人であり、会場で再びお会いしました。堂々たるオールド・スタイルによるバッハであり、合唱は200人いました。どこに私の友人がいるのかは、客席からはわかりませんでした。
指揮者はホルスト・マイナルドゥスという人でした。この指揮者は、のちにメンデルスゾーンの「パウロ」を聴くことがあり、2度聴いた指揮者です。有名なアルトのアリアではコンサートマスターが立って弾き、また、ソプラノのアリアでは、フルートの人が立って演奏するといった演出がなされていました。当時、世界的には古楽によるバッハが流行っていたわけですが、この演奏は明らかに伝統的なバッハでした。絶対音感があって古楽だと半音くらい低く聴こえる私にとっても、モダンピッチの演奏はありがたいものでした。
サムネイルはチラシですが、この演奏会はパンフレットも残りましたので、それを以下に載せますね。

日記には「感動的だった。弟子が寝るところで私も少し眠かったのはおもしろかった」と書かれています。弟子がゲツセマネで眠かったときに、私も客席で少し眠かったのです。
そして、終演後、再び私は教会の仲間のところに戻りました。説教をした(当時、若手の)伝道師の家に行きました。当時、よく行われていましたが、青年を中心に、さまざまな手料理を食べ、夜もえんえんと楽しんだわけです。その伝道師の先生が料理してふるまっていたのですが、その日は「さざえ(!)をメインに、ゴーヤチャンプルー、キムチ、ぎょうざ、(ある中国人の牧師さんによる)じゃがいも料理、杏仁豆腐、そうめん、すいか、桃、ビール、ワイン」等がふるまわれたと書いてあります。飲めない私はウーロン茶であったようです。これが教会の青年会でした。楽しい話題に花が咲きました。
こうして、私は、修士論文のアイデアが豊富に出るなか、音楽のほうも充実し(ある市民吹奏楽団のエキストラをしていました)、また、教会での交友も充実していたわけです。この年のクリスマスに私は洗礼を受けて正式にキリスト教の信者となり、また、その翌月には修士論文を提出することになります。極めて充実した修士課程2年のある日のことでした。
(当日のチラシおよびパンフレットをブログに使用することは、東京フィルハーモニー交響楽団さんの許可を得ました。)
(ちなみに本日2024年3月29日は、今年のキリストの受難日です。少し受難を意識して記事を書いてみました。あさってがイースターです!)
