「どんぶり勘定」は「生きるための数学」

かつて、学生時代に、東大オーケストラの指揮者であった三石精一(みついし・せいいち)先生からよく練習中に「どんぶり勘定はいけないねえ」とみんな言われていました。オーケストラでは、弦楽器はずっと弾いていますが、管楽器や打楽器は、しばしば何十小節、ときに何百小節もの「休み」がありました。それをずっと数えるのはしばしば大変を通り越して苦痛だったりします。そこでつい「だいたいこのへんで入るのだろう」とどんぶり勘定をして、とんでもないところで入ったり、落ちたりするのでした。だから三石先生はよく「どんぶり勘定はいけないねえ」と学生を諭しておられたのでした。
そのずっとのち、教員時代に、ある、とても良心的なベテランの女性の非常勤講師の数学の先生がおられました。その先生があるとき職員室で私におっしゃいました。「よく、ゆとり教育の時代に、円周率は3だったと聞くけど、私は円周率は3でいいと思うの。だって、だいたい3だもの」と。これは「どんぶり勘定」ですが、じつはこの先生は、その中高の数学の先生のなかでは、例外的に「賢い」先生なのでした。
そのまたずっとのち、私はこうして星くず算数・数学教室の講師となりました。小中高の数学の教材で最もすぐれたものは、文科省検定教科書だと思います。大学数学以降は検定教科書というものはなくなり、各先生がご自身の権威をもって教科書を書いておられますが、少なくとも初等中等教育の数学の教材で最もよいものは、私は検定教科書だと思います。国内で唯一、受験を念頭に置いていない(学問的な)数学の教材だと思うからです。それにしても、小学校の算数の教科書で、最も大きな弱点は、執筆者がもしかしたらわかっておられないかもしれない点、すなわち、概数、すなわち概算、すなわち「おおざっぱな計算」すなわち「どんぶり勘定」の能力ではないかと感じたりするのです。
私の頼っているある福祉のお兄さんは「どんぶり勘定は理論的な計算」だとおっしゃっています。「ぼくも学生時代、数学ができたほうではないのですけど、そういった理論的などんぶり勘定は大切にしてきましたね」とおっしゃいます。私も、本質的に頭を使う計算は、「どんぶり勘定」だと感じています。小学校の教科書は、「ぴったり教育」すぎるのです。そして、ちょっとでも違っているとバツを打たれるのでしょう。
先日、確定申告をいたしました。妻は、私の払うことになる税金のだいたいの額を当てました。私の妻は、どんぶり勘定が得意な、賢い人間なのです。
オーケストラの練習でも「だいたいこのへんで自分の出番だろう」と思って入ることのできる管楽器・打楽器の人は、どんぶり勘定が得意な、賢い(音楽的センスのある)人なのかもしれません。
私の知っているある人は、私がその人に「215,500円」の借りがあると私に迫っています。私はそんなにその人のお金を使い込んだ記憶はないのですが、その人はあくまで「215,500円」と言い張っています。しかし、その人があまり賢くない証拠があります。「215,500円」という「細かさ」です。有効数字が4桁もあります(小学校で習う言いかたなら「上から4桁の概数」)。これはどんぶり勘定の真逆です。一方でその人は、自分の家の解体に300万かかると言っていました。しかし、それは概算で100万くらいの間違いだと思われます。かくも概算(どんぶり勘定)の能力は、「理論的な」本質的計算なのです。
レストランでいくらくらい食べたか、それを概算する能力は、本当の賢さだと思います。私も皆さんを見習って、概算(どんぶり勘定)のできる賢い人間になりたいと願っています。それこそがほんとうの(テストのための数学ではない)「生きるための数学」だと思います。
