同値関係と商写像

少し専門的な話になるかもしれません。同値関係と商写像の話をします。とくに商写像という概念について、日常の言葉で説明することを試みます。
まず、数学的な定義です。
集合${X}$に、同値関係${\sim}$が与えられているとし、写像${f:X\to Y}$が与えられているとする。写像${f:X\to Y}$がある写像${\bar{f}:X/\sim\to Y}$と自然な射影${p:X\to X/\sim}$を用いて${f=\bar{f}\circ p}$と表されているとき、${\bar{f}}$を${f}$が誘導する商写像という。
それで、${f}$が${\bar{f}}$を誘導する必要十分条件は、${x_1\sim x_2}$ならば${f(x_1)=f(x_2)}$が成り立つことです。
この記述は、阿原一志=逆井卓也『パズルゲームで楽しむ写像類群入門』によりましたが、これだとなんだかよくわからないと思います。この本の著者もそう思ったようで、ここからさまざまな例、そして「もののたとえ」を挙げ始まります。以下に私が書く「もののたとえ」は、この本が挙げている例より自然で理にかなっているものだと思います。
${X}$を楽器全体からなる集合とします。${f}$を楽器に対して音域を与える写像だとします。つまり、ピアノに対して「低いラから高いドまで」というものを与える写像です。これは、もしも世の中に存在するあらゆるピアノの音域がすべて同じであれば、世の中のピアノというピアノを同一視してもこの写像は定義されます。それを世の中で「ピアノの音域」と言っているわけです。この「ピアノの音域」という言葉でさしている「ピアノ」という語は、いま私の家にある電子ピアノをさすと同時に、世の中のあらゆるピアノを同一視したときの「ピアノ」を指しているとも言えます。
小さいころ、疑問に思っていたことがあります。よく絵本などで、「くまさん」や「きつねさん」や「うさぎさん」が出てきます。そしてたとえば「いちろうさん」が出てきます。この「いちろうさん」という人間の呼び方に疑問があったのです。「くまさん」「りすさん」と呼ぶなら、彼は「にんげんさん」と呼ばれるべきではないのか。なぜいちろうさんだけ、固有名詞で「いちろうさん」と呼ばれるのか。これは、幼稚園生であったころ、動物の出てくる絵本を読んでよく思うことでしたが、当時は言葉になりませんでした。いま考えますと、これは同値関係という言葉で説明されるのだと思います。
「同値関係」というものは、「同じ」という概念を数学的に言ったものだと気づかされます。「正多面体は5種類である」と高校1年の教科書に書いてあります(中学1年の教科書にも書いてありますが、正式に出てくるのは高校1年です)。正多面体は、正四面体、正六面体(立方体)、正八面体、正十二面体、正二十面体で、5種類なのでしょう。ここで、「大きさ違い」は考えていません。同じように「色違い」も考えていません。赤い正四面体と黄色い正四面体で区別はしていないということです。置いてある位置の違いも考えていません。これは、暗黙のうちに、正多面体のなす集合に、同値関係を入れて、その同値関係で割っているのです。
世の中で「同じ」という言葉はどういうときに使うでしょうか。同じエビピラフを注文したと言っても、そこに乗っているエビの一匹一匹は、違う「エビの人生」を歩んできたはずであって、その意味では、ひとつとして同じエビピラフはないとも言えます。これも、ある種の同値関係を入れて割っているのです。先ほどのくまさんでも、それはプーさんでもテディベアでも、くまというくまを同一視して「くまさん」と言っているのだったのです。
動物に対して目の数を与える写像${f}$を考えます。くまに対しては${2}$が対応します(くまの目の数は${2}$個)。これは、あらゆるくまというくまの目の数が${2}$ならば、「くま」という種類に対して目の数である${2}$が対応します。これは、ねずみさんでも${2}$であり、かめさんでも${2}$だと思いますが、とんぼは${2}$ではないのでしたよね(すごくたくさんあるのでしょう)。これは、動物全体のなす集合${X}$から、くま同士を同一視する同値関係${\sim}$で割った${X/\sim}$に商写像${\bar{f}}$が誘導されたことになります。そして商写像が誘導される必要十分条件は、あらゆるくまの目が常に${2}$であることなのです。
どうも、うまく説明できた気がしませんが(すみません)、久しぶりにブログを更新してみた次第です。本日は以上です!
