武道館ライブの経験が2回あります

インターネットでときどき見るガセネタのひとつを書きますね。日本武道館を最初に音楽の会場として使った音楽家はビートルズではなく、レオポルド・ストコフスキー指揮日本フィルハーモニー交響楽団です。最後に参考文献を書きますね。ビートルズは武道館を音楽会場として最初に使ったポップスのミュージシャンなのです。それはともかく、私には「武道館ライブ」の経験が2回あります。東大の入学式は日本武道館で行われていましたが、その東大の入学式で、東大オーケストラのメンバーとして、大学2年と3年のときに演奏したからです。ちょっとその話を書こうと思います。
まず、自分が新入生だったときの話から書きますね。このときはもちろん演奏していません。私はベビーブームの世代であり、当時はものすごくたくさんの子供がいる時代で、少子化などという言葉はありませんでした。少なくとも当時の東大は、入学式の前に大学2年生の先輩が合宿で面倒をみてくださっていて、われわれ新入生どうしは入学式前から親しかったのでした。当時「東京大学物語」というマンガがありましたが、その登場人物の女の子が東大の入学式でちょっと下品なことを言う場面があり「あれをやろうか?」というクラスメイトなどがいたものです。確かに東大オケは演奏していましたが、皆さん東大に受かったことで浮かれており、騒がしくてほとんど聴こえなかったことを思い出します。
さて、大学2年のときの入学式です。自分が東大オケのメンバーとして演奏するときです。演奏する曲は3曲。ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲と、東大の校歌と応援歌であると思われる「ただひとつ」と「足音を高めよ」でした。(ずっとのちに、ある東京六大学で合唱をしていた人から、これらが東大の校歌や応援歌ではないという話を聞き、驚いたことがありますが、どこまで本当の話かわかりません。)東大オケは「東京大学音楽部管弦楽団」と言いますが、同じ「東京大学音楽部」の合唱団(東大には20とか30くらいの合唱サークルがあったと記憶しています)の皆さんとの共演で「ただひとつ」と「足音を高めよ」を演奏しました。この日は、地下鉄サリン事件の直後であり、厳戒態勢のなか入学式が行われたと記憶しています。(仲間で、総長のあいさつの最中に「サリンだ!」と叫ぼうか?という者もいましたが、それはやったら大変なことになったでしょう。)なお、この日は、私は楽譜を学校に忘れました(楽譜等は前の日に家に持ち帰らねばなりません)。私はマイスタージンガー前奏曲の2番フルートは高校時代にやったことがありました。私は九段下(武道館の最寄り駅)までの地下鉄のなかでポケットスコアを読み、「暗譜」で本番に臨みました。1番フルートの先輩にあきれられました。
2回目の武道館ライブが、翌年の、大学3年のときの入学式です。このときは1番フルートで参加しました。
東大の入学式は武道館で行われていました。卒業式は安田講堂でした。東大オケは卒業式でも演奏していましたが、私に卒業式での演奏経験はありません。当時、フルートのない曲(ヘンデルの「王宮の花火の音楽」?)が卒業式で使われていたからです。私自身の卒業式のとき東大オケが演奏していたのはバッハの管弦楽組曲第1番でした。
さて、日本武道館を最初に音楽の会場に使った音楽家は誰でしょうか。先述の通りストコフスキーなのですが(1965年7月13日)、これは、衛藤公雄(えとう・きみお)というおもにアメリカで活動した琴の演奏家の伝記にきちんと書いてあります。その日のプログラムは以下のようでした。
バッハ=ストコフスキー:トッカータとフーガ
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
カウエル:琴協奏曲
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカ組曲
(アンコールとしてスーザの「星条旗よ永遠なれ」が演奏された話は有名ですが、それ以外のアンコールがあったのかどうかはわかりません)
このときのソリストが衛藤公雄でした。このときが武道館をはじめて音楽の会場として使ったときだったのです。簡単にインターネットで調べられることとしては、ビートルズの来日が1966年、ストコフスキーの来日が1965年であることで、これで少なくともビートルズが最初ではないことはすぐに確かめられます。(東京オリンピックが1964年、それにあわせて武道館は作られたのだと思います。なお、ルービンシュタインというクラシック音楽のピアニストの武道館ライブもこの時期ですが、ルービンシュタインがビートルズより先かどうかはよくわかりません。)
ストコフスキーは1965年に来日し、3回の演奏会を指揮しました。日本フィルを2回、うち1回が東京文化会館で、1回が上述の武道館での演奏会です。もう1回は読売日本交響楽団を指揮したやはり東京文化会館での演奏です。私は東京文化会館での演奏の経験も2度あり(東大オケの定期演奏会、および、ある市民吹奏楽団の本番で)、私は自分がストコフスキーが来日したときの2つの演奏会場でいずれも演奏した経験があることをひそかに誇りに思っています。私にとってストコフスキーは特別な演奏家だからです。ストコフスキーの話はまたいずれいたしましょう。本日は以上です!
Ref.
谷口和巳『奇蹟の爪音: アメリカが熱狂した全盲の箏曲家 衛藤公雄の生涯』小学館、2016年
