白髪は輝く冠

1年ほど前に、ある商店街にある小さな喫茶店に入ったことを思い出します。近くの教会でその牧師さんに教わったところです。「昔からあるところ」とのことでした。行ってみますと、小さな喫茶店です。入ってみて、一瞬「きたない」と思ってしまいました。しかし、それは誤解であったことが、しばらく滞在するうち、分かって来ました。
とてもきれいな喫茶店であったのです。私が一瞬「きたない」と思ってしまったのは、「年季が入っている」ということでした。その小さな喫茶店は、その商店街で、何十年もやっていると思われました。常連さんと思われるかたもいました。居心地のいい喫茶店でした。460円のコーヒーを飲みました。
この場所で、何十年も、皆さんのお役に立ってきた、いまも立っている喫茶店でした。皆さんに、リラックスした時間と場所を提供し続けておられる。それで、建物の年季が入って来たわけです。おそらくは、皆さんに長年、愛されている喫茶店ですから、毎日、ぴかぴかに磨いておられることでしょう。「きたない」という最初の感触は、まことに不正確かつ失礼でありました。
「白髪は輝く冠」と、旧約聖書の箴言16章31節にあります。これは、「人間として年季が入って来た」ことを意味すると思います。いい年齢を重ねたおじいさん、おばあさんにとって、白髪は栄光の冠なのです。生まれてすぐに白髪になることは不可能です。年齢を重ねた人がなれるもの、それが白髪でした。(「きたない」と言ってしまったら、すごく失礼であることがわかります。ほうれい線もしわも白髪も、栄光のしるしでした。)
私は残念ながら、いい年齢を重ねているとは言えないと思います。いま49歳ですが、ここ数年で、ようやく長い洗脳から解かれて、自由になりつつあるところです。この「星くず算数・数学教室」も、その長年続いている喫茶店さんの足元にも及ばないものです。心を入れかえて、真面目にこつこつ働く人間でありたいと改めて願います。
