「アドバイス」と「束縛」の関係について、ジブリ映画「魔女の宅急便」から考察する

6週間ほど前に、ジブリ映画「魔女の宅急便」の意味が分かったという話をしたいと思います。たびたび「魔女の宅急便」の話題ですみません。この記事が本命です。
少しずつ気づいていたこととして「アドバイス」と「束縛」の違いがあります。典型的な例として、以下のようなものがあります。
数学の教科書に「導関数の性質」として、1、2、3が載っているとします。そして、そのあとに、2の証明が載っているとします。その次に「問い」があり
1を証明せよ。また、1、2を用いて3を証明せよ。
と書いてあるとします。このとき「1、2を用いて」というのはアドバイスでしょうか、それとも束縛でしょうか。
もちろん、教科書の執筆者のつもりとしてはアドバイスでしょう(「1、2を用いたほうがいいよ」)。しかし、これを「問題」と捉えると束縛の意味になります(「1、2を用いなかったらバツを打つぞ」)。このように、世の中のいろいろなことが、束縛と捉えられたりアドバイスと捉えられたりすることに気づいたわけです。これで、6週間前の名古屋行きの話になります。通院です。
行きの新幹線のなかでトイレに行きました。それは名古屋到着の40分くらい前だったようですが、トイレのなかで、たったいま名古屋に着いたら降りられないぞ、と思いました。それと同時に、「まもなく名古屋に到着します」というアナウンスが流れていないからまだ大丈夫だ、と思いました。ここから気が付いたことがあります。
「まもなく名古屋へ到着します」(正確には「ただいま三河安城駅を時刻通りに通過しました。あと9分で名古屋駅に到着します」でしょうかね)という車掌さんのアナウンスは、もちろん車掌さんが車掌の原稿を読んだだけかもしれません。しかし、もし親切心から言ってくれているとしたらアドバイスです。トイレに入っていると降りられませんよ。荷物の多い人は早めに整理して降りる準備をしてくださいね。慌てて降りると怪我しますよ・・・。
そのつもりで世の中を見ると、あらゆるメッセージがアドバイスに見えます。たとえば、どこかに「立入禁止」と書いてあったとします。もちろん、入って来られるとめんどくさいな、と思った人が書いた注意書きであるとも捉えられます。しかし、これが親切心で書いてあるとしたら・・・。「ここに立ち入ると危険だから入らないほうがいいですよ」というアドバイスに見えるではありませんか!
原因不明で帰る新幹線のなかでも思いました。「12A」と座席に書いてあるのは「この席に座るのは12Aという切符を持った人ですよ。それ以外の人は座ってはいけませんよ」というアドバイスであり、「4号車」と書いてあるのは「ここは4号車ですよ」というアドバイスでした。
私はこの日、涙が止まりませんでした。私が長いこと束縛だと思って来たものは、すべてアドバイスであったか・・・!
この、
「親切心(やさしさ)から言ってくれていると仮定したら、目に入るあらゆることはアドバイス(メッセージ)と捉えることができる」
という現象がすなわち、
「やさしさに包まれたなら きっと 目にうつる全てのことはメッセージ」
という松任谷由実さんの歌詞の意味であり、ひいては宮崎駿さんの言いたいことであると直感したわけです。
なるほどね・・・・・。
キキさんは十三歳にして魔女の「修行」に行かねばなりません。おしゃれをしたくても黒い服を着ていなければなりません。これらはすべて「束縛」に思えます。これらがすべてアドバイス(メッセージ)と捉えられるという人生の旅が、あの二時間の映画の意味ではないでしょうか。
(そう思って改めてこの映画を見直しても、単なる子供向けのアニメであるとしか言えない面もあるとは思いましたが・・・。でも、この理解でいいと私は思います。)
この辺で終わりにしたいと思います。私自身の身に降りかかったこれらの災難(病気)も、これは「人生ゲーム」ではなく「人生」なので、意地悪な人生ゲームの作者のいじめではない(そう捉えると意味の通る文書や作品はたくさんあります。たとえば「新約聖書ヤコブの手紙」、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」など。ジョン・レノンの「イマジン」も)と認識し、闘病をがんばろうと思います。
同じような意味で、パウロ、ブッダ、孔子といった人の言う意味も理解できます。いずれそういったこともブログ等で触れられたらと思います。本日は最後のほうをはしょってしまったので意味が取りづらいかもしれません。いずれ論じますね。それでは本日はこのへんで!
